歴史地図の人物

勢力図で見る生涯

ひとりの人物の一生を、勢力図の動きで追いかけます。運命の分かれ目の場面、居城の移り変わり、よく知られた話の「本当のところ」、そして死んだあとに勢力はどうなったのか。35人を収めています。

源平合戦5人

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南北朝(太平記)4人

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戦国11人

斎
1494年〜1556年・美濃国主斎藤道三主家を追って美濃を奪った「下剋上」の代名詞。最期は実の子に討たれ、国は娘婿の信長に引き継がれた。
1497年〜1571年・毛利氏当主毛利元就安芸の山あいの小さな国人から、知恵と謀りごとで、中国地方の10か国をまとめた。
1519年〜1560年・今川氏当主今川義元駿河・遠江・三河を治めた「海道一の弓取り」。桶狭間のただ一度の敗北で、その名は弱い大名の代名詞にされた。
1521年〜1573年・甲斐の戦国大名武田信玄父を追って甲斐の主となり、信濃を奪い、京をめざして西へ動いた。その途中で病に倒れた。
1530年〜1578年・越後の戦国大名上杉謙信自らを毘沙門天の化身と信じ、「義」をかかげて戦い続けた越後の龍。生涯で70の戦いに出たともいわれる。
1534年〜1582年・天下人織田信長尾張の小さな大名から、10年あまりで天下の半ばを手に入れた。あと一歩のところで、家臣に討たれた。
1537年〜1598年・天下人・関白・太閤豊臣秀吉名もない身から信長に取り立てられ、主君の死からわずか8年で、日本をひとつにまとめた。
1543年〜1616年・天下人・江戸幕府初代将軍徳川家康人質の少年時代から、待って、負けて、耐えて、最後に天下を取り、260年続く世をひらいた。
1560年〜1600年・五奉行石田三成秀吉の天下を、算盤と筆で支えた。主君の死後、豊臣家を守ろうと家康に挑み、関ヶ原で敗れた。
1567年〜1636年・仙台藩祖伊達政宗18歳で家を継ぎ、わずか5年で南奥州を制した。生まれるのが遅すぎた「独眼竜」は、天下人たちの間を70年近く生き抜いた。
1567年〜1615年・真田昌幸の次男真田信繁(幸村)人生の大半を人質と流罪で過ごし、最後の1年で「日本一の兵」と呼ばれた。

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幕末維新6人

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三国志9人

呂
?〜198年・飛将呂布天下に並ぶ者のない武勇を持ちながら、主君を2度殺し、居場所を転々とした。最後は曹操に捕らえられた。
袁
?〜202年・冀州牧・大将軍袁紹4代続けて最高の官職を出した名門に生まれ、華北の4州を手にした最大の群雄。官渡の一戦で、すべてを曹操に奪われた。
曹
155年〜220年・魏王・丞相曹操宦官の家に生まれ、皇帝を手もとに迎えて、中国の北半分を治める魏王になった。「乱世の奸雄」と呼ばれた男。
劉
161年〜223年・蜀漢の初代皇帝劉備むしろ売りから身を起こし、負けては逃げ、人を頼って生きのびた。50歳を過ぎて蜀を得て、皇帝になった。
劉
?〜219年・劉備の義兄弟・前将軍関羽劉備と兄弟のように生き、敵の曹操にも認められた豪傑。死んだあとは神となり、いまも世界中の関帝廟にまつられている。
孫
175年〜210年・呉の大都督周瑜美しい姿と音楽の才で「美周郎」と呼ばれた呉の将。赤壁で曹操の大軍を焼き、36歳で世を去った。
曹
179年〜251年・魏の太傅司馬懿(仲達)曹操・曹丕・曹叡・曹芳の4代に仕え、70歳でクーデターを起こした。三国の最後の勝者は、この男の一族だった。
劉
181年〜234年・蜀漢の丞相諸葛亮(孔明)天下を三つに分ける策を描き、亡き劉備に託された国を背負って、最後まで北へ兵を出し続けた。
孫
182年〜252年・呉の初代皇帝孫権19歳で兄の後を継ぎ、曹操とも劉備とも、戦い、結び、また戦って、江南の呉を50年守った。

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