足

南北朝(太平記)勢力図の人物

足利尊氏(高氏)あしかが たかうじ

1305年〜1358年(数え54歳) / 室町幕府初代将軍 / 足利氏・室町幕府(北朝)

鎌倉幕府を裏切って倒し、後醍醐天皇を裏切って室町幕府を開いた。晩年は、最も信じた弟と戦うことになった。

鎌倉幕府を倒した後、後醍醐天皇と対立して室町幕府を開いた。気前がよく、敵にも寛大だったと伝えられる。

足利氏・室町幕府の勢力

運命の分かれ目

  1. 1333年4月29歳

    幕府に背き、六波羅を攻める

    源氏の名門・足利家の当主として、幕府の命で後醍醐天皇方を討つため西へ向かった。しかし丹波の篠村八幡宮で幕府に背くことを宣言し、京の六波羅探題を攻め落とした。29歳だった。同じ月、関東では新田義貞が鎌倉を攻め落とした。

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  2. 建武の新政では、天皇の名の一字をもらって「尊氏」と名を改めた。

  3. 1335年7月31歳

    中先代の乱をしずめ、新政に背く

    北条時行が鎌倉を奪うと、天皇の許しを得ないまま鎌倉に下って取り返した。そのまま鎌倉にとどまり、新田義貞を討つことを名目に、天皇に背いた。

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  4. 1336年1月、京に攻め上ったが、北畠顕家・楠木正成らに敗れて九州まで逃れた。

  5. 1336年5月32歳

    湊川の戦い

    九州の多々良浜で菊池氏を破って勢いを取り戻し、大軍で海と陸から京へ向かった。摂津の湊川で楠木正成を討ち、新田義貞を退けて京に入った。

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  6. 光明天皇を立て(北朝)、建武式目を定めて、室町幕府の始まりとした。後醍醐天皇は吉野に逃れた。1338年、征夷大将軍となった。

  7. 1350年10月46歳

    観応の擾乱

    政治をまかせていた弟の直義と、執事の高師直が対立し、幕府が二つに割れた。尊氏は一時、南朝に降ってまで直義と戦った。1352年、直義は鎌倉で急死した。毒殺されたともいわれる。

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  8. 直義の養子の直冬が、南朝と結んで京を何度も攻めた。

  9. 1358年4月54歳

    京で亡くなる

    直冬との戦いで受けた傷がもとで、京で亡くなった。54歳だった。南北朝の合一は、孫の義満の時代を待つことになる。

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年齢は、地図の人物欄と同じ数え年です。

通説と実像

よく知られた話は、どこまで本当なのか。史料にあるもの、後世に作られたもの、説が分かれるものに分けました。

諸説

有名な「騎馬武者像」は尊氏

京都国立博物館の「騎馬武者像」は、長く尊氏の肖像とされてきたが、高師直など別の人物を描いたものとする説が有力になっている。

史料にある

気前がよく、もらったものを人にすぐ与えた

禅僧の夢窓疎石が、尊氏は戦場で笑みを絶やさず、欲がなく、物をすぐ人に分け与えたとほめたことが『梅松論』に書かれている。

史料にある

後醍醐天皇を弔うため、天龍寺を建てた

夢窓疎石のすすめで、後醍醐天皇の冥福を祈るため、京の嵯峨に天龍寺を建てた。費用をつくるため、元に貿易船(天龍寺船)を送った。

諸説

天皇に背いた逆賊だった

南朝を正しいとする考え方が強まった明治以降、尊氏は「逆賊」とされた。1934年には、尊氏をほめる文章を書いた大臣が辞めさせられる事件も起きた。

数字で見る尊氏

勢力が最も広かった年1338年63地域・約24万km²(34歳)
そのときの広さ84%この地図の範囲(北海道・沖縄をのぞく日本)のうち。その年の勢力の中で1位
地図に記された戦い7回南北朝(太平記)勢力図の出来事のうち、尊氏の名前が出てくる戦い

広さは、この地図の地域区分から計算した目安です。

つながり

主役のバトン

← 前の主役後醍醐天皇幕府を倒し、建武の新政を始めた
足利尊氏(高氏)1305年〜1358年(数え54歳)
次の主役 →足利義満孫。南北朝を合一し、室町幕府の最盛期を築いた

尊氏が死んだあと

1358年(死んだ時点)
1368年(10年後)
42死
421年後
392年後
393年後
384年後
385年後
416年後
417年後
418年後
419年後
4110年後

足利氏・室町幕府の勢力は、尊氏が死んだ時点で地図の上の42地域。10年後には41地域。

死んだ年の勢力図を開く

地域の数は、この地図の地域区分で数えた目安です。

同じ時代、世界では

イブン・バットゥータアフリカ・西アジア・1304年〜1368年・尊氏より1歳年上アフリカからアジアまで旅したモロッコの旅行家。
朱元璋(洪武帝)中国・1328年〜1398年・尊氏より23歳年下貧しい農民から明を建てた皇帝。
ティムール中央アジア・1336年〜1405年・尊氏より31歳年下中央アジアから西アジアにまたがる大帝国を築いた。
マルコ・ポーロヨーロッパ・1254年〜1324年・尊氏より51歳年上クビライの元に仕え、『東方見聞録』を残したとされる。
ダンテヨーロッパ・1265年〜1321年・尊氏より40歳年上『神曲』を書いたフィレンツェの詩人。

尊氏が出てくる合戦絵巻

略年譜(南北朝(太平記)勢力図の出来事から)

参考