孫

三国志 勢力図の人物

孫権そん けん

182年〜252年(数え71歳) / 呉の初代皇帝 / 孫氏・呉

19歳で兄の後を継ぎ、曹操とも劉備とも、戦い、結び、また戦って、江南の呉を50年守った。

兄孫策の後を継ぎ、人材を生かして江南を守り抜いた。

孫権の勢力

運命の分かれ目

  1. 200年4月19歳

    兄の死で、19歳で家を継ぐ

    父の孫堅、兄の孫策が江東に築いた地盤を、兄の急死で継いだ。周瑜・張昭らが若い孫権を支え、江東の豪族をまとめていった。

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  2. 208年、父の仇の黄祖を討った。同じ年、荊州を降した曹操が大軍で長江を下ってきた。

  3. 208年12月27歳

    赤壁の戦い

    降伏を説く重臣も多いなか、周瑜と魯粛の意見をいれて、曹操と戦うと決めた。刀で机を斬って「これ以上降伏を言う者は、この机と同じだ」と言ったという。劉備と結び、周瑜が赤壁で曹操を破った。

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  4. 荊州をめぐって劉備と争うようになり、215年に荊州を分けて和解した。同じ年、合肥で張遼に大敗した。

  5. 219年12月38歳

    関羽を討ち、荊州を奪う

    樊城を囲む関羽の背後を、呂蒙に命じて襲わせ、荊州を奪った。関羽は捕らえられて斬られた。孫権は曹操に臣従の姿勢をとり、劉備とは敵対した。

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  6. 222年6月41歳

    夷陵の戦い

    関羽の仇を討とうと攻めてきた劉備の大軍を、若い将の陸遜に任せて迎え撃った。陸遜は守りを固めて劉備軍を疲れさせ、夏に火攻めで大勝した。

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  7. その後、魏とも手を切って自立し、劉備の死後は蜀と再び同盟を結んだ。

  8. 229年4月48歳

    皇帝となる

    武昌で皇帝の位につき、都を建業(いまの南京)に移した。三国の皇帝がそろった。しかし晩年は、後継ぎをめぐる争い(二宮の変)で、多くの重臣を失った。252年、71歳で亡くなった。三国の君主の中で、最も長く生きた。

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年齢は、地図の人物欄と同じ数え年です。

本拠の移り変わり

  1. 1

    呉

    200年ごろ〜208年(19〜27歳)

    兄の孫策から受け継いだ江東の中心。

  2. 2

    京口

    209年ごろ〜211年(28〜30歳)

    長江に面した要地。

  3. 3

    建業

    211年〜221年(30〜40歳)

    秣陵を建業と改めて本拠とした。

  4. 4

    武昌

    221年〜229年(40〜48歳)

    荊州と蜀ににらみをきかせるため移った。ここで皇帝となった。

  5. 5

    建業(呉の都)

    229年〜252年(48〜71歳)

    皇帝となって都を戻した。のちの南京。

地図は225年の勢力図に、本拠の位置を重ねたものです。濃い色が孫権の勢力です。

通説と実像

よく知られた話は、どこまで本当なのか。史料にあるもの、後世に作られたもの、説が分かれるものに分けました。

史料にある

曹操に「子を持つなら孫権のような子がほしい」とほめられた

正史の注に引く『呉歴』に、曹操が孫権の軍の整い方を見て、こう言ったとある。

史料にある

机を斬って、曹操と戦うと決めた

正史の注に引く『江表伝』に見える話。

諸説

目は碧く、ひげは紫だった

『三国志演義』などで「碧眼紫髯」とされる。正史の注には、孫権を「あごが張り口が大きい」と書くものはあるが、目の色は書かれていない。

史料にある

晩年は、後継ぎ争いで国を傾けた

太子の孫和と、弟の孫覇の争いに重臣たちが分かれ、陸遜は孫権に責められて憤死したと正史にある。

数字で見る孫権

勢力が最も広かった年237年18地域・約140万km²(56歳)
そのときの広さ26%この地図の範囲(中国とその周辺)のうち。その年の勢力の中で2位
家督を継いでから52年200年、兄の孫策の死で、家を継ぐ
地図に記された戦い2回三国志 勢力図の出来事のうち、孫権の名前が出てくる戦い
本拠を移した回数4回呉 → 京口 → 建業 → 武昌 → 建業(呉の都)

広さは、この地図の地域区分から計算した目安です。

つながり

主役のバトン

← 前の主役孫策江東を平定して、呉のもとを築いた兄
孫権182年〜252年(数え71歳)

孫権が死んだあと

252年(死んだ時点)
262年(10年後)
18死
181年後
182年後
183年後
184年後
185年後
186年後
187年後
188年後
189年後
1810年後

孫権の勢力は、孫権が死んだ時点で地図の上の18地域。10年後には18地域。

死んだ年の勢力図を開く

地域の数は、この地図の地域区分で数えた目安です。

同じ時代、世界では

プロティノスローマ・205年〜270年・孫権より23歳年下新プラトン主義を開いた哲学者。
アルダシール1世西アジア・生年不詳〜242年パルティアを倒し、ササン朝ペルシアを建てた。
卑弥呼日本・生年不詳〜248年邪馬台国の女王。239年に魏へ使いを送った。没年は諸説ある。
ガレノスローマ・129年〜216年・孫権より53歳年上ローマ帝国の医学者。その医学は千年以上受け継がれた。生没年は諸説ある。
セプティミウス・セウェルスローマ・145年〜211年・孫権より37歳年上アフリカ出身のローマ皇帝。内乱を勝ち抜いて帝位についた。
カラカラローマ・188年〜217年・孫権より6歳年下帝国内の自由人にローマ市民権を与えたローマ皇帝。大浴場を築いた。

孫権が生まれたころの世界

孫権が出てくる合戦絵巻

略年譜(三国志 勢力図の出来事から)

参考