運命の分かれ目
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1573年8月37歳
小谷城を落とし、城持ち大名に
信長に仕えて頭角をあらわし、浅井長政の小谷城攻めで手柄を立てた。浅井の旧領の北近江をもらい、はじめて城持ちの大名となった。名を木下から羽柴に改めたのも、このころである。
1577年からは中国地方の毛利攻めを任された。三木城の「干殺し」、鳥取城の「渇え殺し」と、敵の城を囲んで食料を断つ戦い方で、播磨・因幡を手に入れていった。
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1582年6月46歳
中国大返しと山崎の戦い
備中高松城を水攻めにしている最中に、本能寺の変の知らせが届いた。すぐに毛利と和睦し、約200kmを10日ほどで駆け戻って、山崎で明智光秀を破った。主君の仇を討ったことで、織田家の家臣の中で一歩抜け出した。
清洲会議で、信長の孫の三法師を後継ぎに立てて主導権を握った。これに反発したのが、織田家の筆頭家老の柴田勝家だった。
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1583年4月47歳
賤ヶ岳の戦い
近江の賤ヶ岳で柴田勝家の軍を破り、越前の北ノ庄城に追いつめて自害させた。織田家の家臣どうしの争いに勝ち、信長の後継者の地位を固めた。同じ年、石山本願寺の跡に大坂城を築きはじめた。
1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康に苦戦したが、和睦して家康を臣従させた。1585年には関白となり、四国、1587年には九州を平定した。
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1590年7月54歳
小田原征伐と天下統一
20万をこえる大軍で北条氏の小田原城を囲み、3か月で降した。続いて東北の大名の領地を決め直し(奥州仕置)、応仁の乱から120年あまり続いた戦国の世を終わらせた。家康は北条の旧領の関東に移された。
刀狩で百姓から武器を取り上げ、太閤検地で全国の土地を同じ物差しで測った。身分と土地の仕組みは、江戸時代に引き継がれていく。
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1592年4月56歳
朝鮮出兵
明を征服するとして、15万をこえる軍を朝鮮に送った(文禄の役)。はじめは漢城(いまのソウル)まで攻め上ったが、李舜臣の水軍や明の援軍に阻まれた。1597年にも再び出兵したが(慶長の役)、翌年8月、幼い秀頼を残して伏見城で亡くなった。
年齢は、地図の人物欄と同じ数え年です。
居城の移り変わり
- 1
長浜城
1574年ごろ〜1582年(38〜46歳)浅井の旧領に、琵琶湖のほとりに築いた最初の居城。
- 2
姫路城
1580年〜1582年(44〜46歳)中国攻めの拠点。黒田官兵衛から譲られて大きく築き直した。
- 3
大坂城
1583年〜1598年(47〜62歳)石山本願寺の跡に築いた、天下の城。
- 4
聚楽第
1587年〜1591年(51〜55歳)京に築いた政庁と邸宅。後陽成天皇を迎えた。
- 5
伏見城
1594年〜1598年(58〜62歳)晩年を過ごし、亡くなった城。
地図は1591年の勢力図に、居城の位置を重ねたものです。濃い色が羽柴・豊臣氏の勢力です。
通説と実像
よく知られた話は、どこまで本当なのか。史料にあるもの、後世に作られたもの、説が分かれるものに分けました。
後世の創作
信長の草履を懐で温めた
江戸時代の読み物『絵本太閤記』などで広まった話で、確かな史料には見えない。
諸説
墨俣に一夜で城を築いた
『信長公記』などの確かな史料にはない。よく引かれる『武功夜話』は、史料としての信頼性に疑問が出されている。
諸説
信長は秀吉を「猿」と呼んだ
信長が妻のねねにあてた手紙では、秀吉を「はげねずみ」と書いている。「猿」のあだ名は、ほかの人の書き残したものに見える。
史料にある
中国大返し:約200kmを10日ほどで戻った
6月4日ごろに毛利と和睦し、13日に山崎で戦った。兵の多くが本当にこの速さで動けたのかは議論があるが、日付は確かな史料で追える。
諸説
刀狩で、百姓の武器をすべて取り上げた
取り上げたのは主に刀や脇差で、鉄砲などは村に残ったことがわかってきた。百姓が武器を持てなくなったというより、身分を見た目で分ける政策だったとする見方がある。
数字で見る秀吉
広さは、この地図の地域区分から計算した目安です。
つながり
家族
家臣
主役のバトン
秀吉が死んだあと
羽柴・豊臣氏の勢力は、秀吉が死んだ時点で地図の上の40地域。10年後には3地域。死んだ時点の羽柴・豊臣氏の地域は、10年後には松平・徳川氏が17地域、外様諸大名が15地域を支配していた。
地域の数は、この地図の地域区分で数えた目安です。家臣の大名の領地は、独立するまで主家の色で示しています。
同じ時代、世界では
秀吉が生まれたころの世界
- 1533年アメリカピサロがインカ帝国を滅ぼす
- 1543年ヨーロッパコペルニクスの地動説
秀吉が出てくる合戦絵巻
略年譜(戦国勢力図の出来事から)
- 1570年4月34歳金ヶ崎の退き口
- 1580年1月44歳三木城 開城(三木の干殺し)
- 1580年8月44歳石山本願寺 退去
- 1581年10月45歳鳥取城の渇え殺し
- 1582年5月46歳備中高松城の水攻め
- 1582年6月46歳山崎の戦い
- 1582年6月46歳清洲会議
- 1583年4月47歳賤ヶ岳の戦い
- 1583年9月47歳大坂城 築城開始
- 1584年4月48歳小牧・長久手の戦い
- 1585年3月49歳紀州征伐
- 1585年7月49歳秀吉、関白に就任
- 1585年8月49歳四国征伐
- 1586年7月50歳岩屋城の戦い
- 1586年10月50歳徳川家康、秀吉に臣従
- 1587年5月51歳九州平定(島津義久降伏)
- 1587年6月51歳バテレン追放令
- 1587年10月51歳北野大茶湯
- 1589年6月53歳摺上原の戦い
- 1590年4月54歳小田原征伐
- 1590年8月54歳奥州仕置・天下統一
- 1591年2月55歳千利休 切腹
- 1592年4月56歳文禄の役(朝鮮出兵)
- 1597年2月61歳慶長の役(再出兵)
- 1598年3月62歳醍醐の花見
- 1598年8月62歳豊臣秀吉 死去
参考
- 太田牛一『信長公記』
- 小和田哲男『豊臣秀吉』(中公新書)
- 藤木久志『刀狩り』(岩波新書)