運命の分かれ目
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1560年5月27歳
桶狭間の戦い
2万をこえる今川義元の大軍が尾張に攻めこんだ。信長は、わずかな兵で今川の本陣を突き、義元を討ち取った。東の大国の今川家はここから崩れはじめ、信長の名は一気に知られた。
翌々年、今川から自立した松平元康(のちの徳川家康)と清洲同盟を結び、東の守りを任せた。信長は北の美濃攻めに力を注ぐ。
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1567年8月34歳
美濃を取り、「天下布武」
7年かけて美濃の斎藤氏を攻め、稲葉山城を落とした。城を岐阜と名づけ、「天下布武」の印を使いはじめた。尾張と美濃の2か国を合わせ、京をうかがう力を手に入れた。
翌年、越前から頼ってきた足利義昭を迎え、上洛の名目を得た。
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1568年9月35歳
足利義昭を立てて上洛
足利義昭を将軍に立てて、京にのぼった。わずか1か月ほどで畿内を押さえた。しかし義昭とはやがて対立し、浅井・朝倉・武田・本願寺などが手を結んで、信長を囲むことになる。
1570年からの数年は、姉川の戦い、比叡山焼き討ち、本願寺との石山合戦と、四方の敵との戦いが続いた。1573年に武田信玄が病死すると、義昭を京から追い、浅井・朝倉を滅ぼした。
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1575年5月42歳
長篠の戦い
徳川家康と組み、三河の設楽原で武田勝頼の軍を破った。馬防柵と多くの鉄砲で、武田の騎馬の突撃を防いだ。信長を苦しめた包囲網は、このころには崩れていた。
翌年から琵琶湖のほとりに安土城を築いた。1580年には本願寺と和睦して大坂から退かせ、1582年3月には武田氏を滅ぼした。
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1582年6月49歳
本能寺の変
武田氏を滅ぼし、毛利攻めのために西へ向かう途中、京の本能寺に泊まっていた。家臣の明智光秀に囲まれ、自害した。49歳だった。天下統一は、家臣の羽柴秀吉に引き継がれた。
年齢は、地図の人物欄と同じ数え年です。
居城の移り変わり
- 1
那古野城
1538年ごろ〜1555年(5〜22歳)幼いころに父から与えられた城。「うつけ」と呼ばれた時代を過ごす。
- 2
清洲城
1555年〜1563年(22〜30歳)尾張の守護所。ここから桶狭間へ出陣した。
- 3
小牧山城
1563年〜1567年(30〜34歳)美濃攻めのため、北の小牧山に新しく築いた城。
- 4
岐阜城
1567年〜1576年(34〜43歳)斎藤氏から奪った稲葉山城を改名。「天下布武」の拠点。
- 5
安土城
1576年〜1582年(43〜49歳)琵琶湖のほとりに築いた、天主をもつ壮大な城。本能寺の変のあとに焼けた。
地図は1555年の勢力図に、居城の位置を重ねたものです。濃い色が織田氏の勢力です。
通説と実像
よく知られた話は、どこまで本当なのか。史料にあるもの、後世に作られたもの、説が分かれるものに分けました。
史料にある
若いころは「うつけ(大ばか者)」と呼ばれた
『信長公記』に、湯帷子の袖を外し、腰に火打ち袋やひょうたんを下げ、町を歩きながら柿や瓜をかじっていたという姿が書かれている。父の葬儀で、抹香を位牌に投げつけた話も同じ本にある。
史料にある
桶狭間の出陣の前に「人間五十年」を舞った
『信長公記』に、出陣の前に幸若舞の「敦盛」の一節「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」を舞い、湯漬けを食べて出たとある。
諸説
桶狭間は、山を回りこんだ奇襲だった
山の裏から回りこんで本陣を突いたという「迂回奇襲説」は、明治時代の陸軍の戦史で広まった。『信長公記』をもとに、正面から攻めかかったとする説が今は有力だが、決着はついていない。
諸説
長篠の戦いで「鉄砲の三段撃ち」をした
『信長公記』には「鉄砲千挺ばかり」とあるだけで、3列が交代で撃つ三段撃ちは、江戸時代の軍記物に出てくる話。今は疑問視する研究者が多い。
後世の創作
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
信長・秀吉・家康の性格を言い分けたこの句は、江戸時代後期の随筆『甲子夜話』に、人が詠んだものとして載っている。信長自身の言葉ではない。
史料にある
本能寺で「是非に及ばず」と言った
『信長公記』に、謀反の相手が明智光秀だと聞いて「是非に及ばず(しかたがない)」と言ったとある。作者の太田牛一はその場にいなかったが、逃げのびた女房たちから話を聞いて書いたとされる。
数字で見る信長
広さは、この地図の地域区分から計算した目安です。
つながり
家族
家臣
宿敵
主役のバトン
信長が死んだあと
織田氏の勢力は、信長が死んだ時点で地図の上の22地域。9年後には、織田氏の色の地域はなくなった。死んだ時点の織田氏の地域は、9年後には羽柴・豊臣氏が19地域を支配していた。
地域の数は、この地図の地域区分で数えた目安です。家臣の大名の領地は、独立するまで主家の色で示しています。
同じ時代、世界では
信長が生まれたころの世界
- 1526年インドインドにムガル帝国が成立
- 1533年アメリカピサロがインカ帝国を滅ぼす
- 1543年ヨーロッパコペルニクスの地動説
信長が出てくる合戦絵巻
略年譜(戦国勢力図の出来事から)
- 1556年4月23歳長良川の戦い
- 1559年2月26歳織田信長 初上洛
- 1560年5月27歳桶狭間の戦い
- 1562年1月29歳清洲同盟
- 1567年8月34歳稲葉山城の戦い
- 1568年9月35歳織田信長 上洛
- 1570年4月37歳金ヶ崎の退き口
- 1570年9月37歳石山合戦 開戦
- 1571年9月38歳比叡山焼き討ち
- 1573年4月40歳武田信玄 死去
- 1573年7月40歳室町幕府 滅亡
- 1573年8月40歳一乗谷の戦い・小谷城の戦い
- 1574年9月41歳長島一向一揆 殲滅
- 1576年2月43歳安土城 築城開始
- 1577年10月44歳信貴山城の戦い
- 1578年7月45歳上月城の戦い
- 1579年11月46歳有岡城 落城
- 1580年8月47歳石山本願寺 退去
- 1581年2月48歳京都御馬揃え
- 1581年9月48歳天正伊賀の乱
- 1582年6月49歳本能寺の変
- 1582年6月49歳清洲会議
- 1583年4月50歳賤ヶ岳の戦い
参考
- 太田牛一『信長公記』
- 池上裕子『織田信長』(吉川弘文館 人物叢書)
- 金子拓『織田信長〈天下人〉の実像』(講談社現代新書)