幕末維新勢力図の人物

木戸孝允(桂小五郎)きど たかよし(かつら こごろう)

1833年〜1877年(数え45歳) / 長州藩士 / 長州藩(毛利家)

剣の達人なのに、斬り合いを避けて逃げ続けた。生きのびて長州を導き、新しい国の約束を文章にした。

「逃げの小五郎」。薩長同盟を結び、五箇条の御誓文・版籍奉還に関わった。

長州藩の勢力

運命の分かれ目

  1. 1864年6月32歳

    池田屋事件を逃れる

    吉田松陰に学び、江戸の剣術道場の塾頭もつとめた。京で長州藩の代表として動いていたが、新選組が池田屋を襲った夜、会合に早く着きすぎていったん外に出ていたため、難を逃れたと伝わる。

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  2. 翌月の禁門の変で長州は敗れ、京を追われた。桂は但馬の出石に身を隠した。

  3. 1866年1月34歳

    薩長同盟

    長州の実権を握った高杉晋作らに呼び戻され、藩の政治の中心となった。坂本龍馬の仲立ちで京の薩摩藩邸に入り、西郷隆盛らと同盟を結んだ。名を木戸孝允と改めたのは、この前年のこと。

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  4. 第二次長州征討で、長州は幕府軍を退けた。

  5. 1868年3月36歳

    五箇条の御誓文

    新しい政府の方針を示す五箇条の御誓文で、もとの案に手を入れて「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とした。天皇が神々に誓う形をとることも、木戸の考えだったとされる。

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  6. 版籍奉還、そして廃藩置県を進めた。

  7. 1871年11月39歳

    岩倉使節団で欧米へ

    副使として欧米をまわり、各国の憲法や議会を見て、日本にも憲法が必要だと考えた。帰国後は、急いで国の外に出ていこうとする意見に反対した。

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  8. 1874年の台湾出兵に反対して政府を去ったが、のちに戻った。体を病みがちになった。

  9. 1877年5月45歳

    西南戦争のさなかに病死

    西南戦争のさなか、京で病が重くなり亡くなった。45歳だった。最期に「西郷、もういいかげんにせんか」と言ったと伝わる。西郷はその4か月後、大久保は翌年に亡くなり、維新の三傑はわずか1年のうちに世を去った。

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年齢は、地図の人物欄と同じ数え年です。

通説と実像

よく知られた話は、どこまで本当なのか。史料にあるもの、後世に作られたもの、説が分かれるものに分けました。

諸説

「逃げの小五郎」と呼ばれた

剣の腕は確かだったが、斬り合いを避けて逃げのびたことから、こう呼ばれたと伝わる。生きのびたからこそ維新を見届けられた。

諸説

芸者の幾松にかくまわれた

京で幕府に追われたとき、のちに妻となる芸者の幾松が助けたという話が知られる。細かな場面は後の脚色が多い。

史料にある

五箇条の御誓文に手を入れた

由利公正・福岡孝弟がつくった案に、木戸が修正を加えたことが、残された草案からわかる。

諸説

「西郷、もういいかげんにせんか」が最期の言葉

病床でうわごとのように言ったと伝わる。

数字で見る木戸

勢力が最も広かった年1867年4地域・約1.2万km²(35歳)
そのときの広さ3%この地図の範囲(沖縄をのぞく日本)のうち。その年の勢力の中で4位
地図に記された戦い0回幕末維新勢力図の出来事のうち、木戸の名前が出てくる戦い

広さは、この地図の地域区分から計算した目安です。

つながり

主役のバトン

木戸孝允(桂小五郎)1833年〜1877年(数え45歳)

同じ時代、世界では

ダーウィンヨーロッパ・1809年〜1882年・木戸より24歳年上『種の起源』で進化論を唱えた。
ビスマルクヨーロッパ・1815年〜1898年・木戸より18歳年上ドイツを統一したプロイセンの首相。
ヴィクトリア女王ヨーロッパ・1819年〜1901年・木戸より14歳年上イギリスの最盛期の女王。
ナイチンゲールヨーロッパ・1820年〜1910年・木戸より13歳年上クリミア戦争で負傷兵を看護し、近代看護を築いた。
リンカンアメリカ・1809年〜1865年・木戸より24歳年上南北戦争を戦い、奴隷解放を宣言した大統領。
エジソンアメリカ・1847年〜1931年・木戸より14歳年下電球や蓄音機を実用化した発明家。

木戸が生まれたころの世界

略年譜(幕末維新勢力図の出来事から)

参考