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一度も合併しなかったまち

まちの系譜・読み物 更新:2026-10-24

市町村の多くは、昭和と平成の二つの大合併を経て、いくつもの町村が合わさってできています。けれども、明治の町村制で生まれたときの姿のまま、ほかの市町村と一度も合併せずに今に続くまちもあります。まちの系譜の年表でそうしたまちを確かめると、離島、山あいの村、北海道の開拓地、そして大都市のすぐそばの小さなまちという、いくつかの型が見えてきます。この記事では、その型ごとに代表的なまちを紹介します。

「一度も合併しなかった」とは

1889年(明治22年)を中心に施行された町村制では、江戸時代から続く小さな村がいくつかずつまとめられ、新しい町村が生まれました。神奈川県の葉山村は木古庭村・上山口村・下山口村・一色村・堀内村・長柄村の6村から、愛知県の大治村は12か村からできています。この記事では、こうして町村制で生まれた町村が、その後ほかの市町村と合併も編入もしていない場合を「一度も合併しなかった」と呼びます。

町村制の施行の時期は地域によって違い、北海道や沖縄、島々では、明治の後半から大正、昭和にかけて順に施行されました。また、合併はしていなくても、隣のまちとの境界の変更などで区域が少し変わったまちもあります。

島のまち

いちばんわかりやすいのは、一つの島が一つの村になっているところです。海で隔てられているため、隣のまちと一緒になる相手がいません。

大分県の姫島村は、1889年の町村制で姫島がそのまま一つの村になりました。新潟県の粟島浦村も1889年に粟島浦として発足し、1909年に粟島浦村と名を改めています。香川県の直島町は1890年に直島村として生まれ、1954年に町になりました。島根県の隠岐では、1904年の町村制で知夫里島が知夫村に、中ノ島の8か村が海士村(1969年から海士町)になり、どちらも今まで合併していません。

東京都の伊豆諸島では、利島村と御蔵島村が1923年に島嶼町村制で村となり、1940年に本土と同じ町村制に移りました。青ヶ島村も1940年に普通町村制で発足しています。

山あいの村

険しい山に囲まれ、隣の集落まで遠い村も、町村制のときの区域を今も保っています。福島県の檜枝岐村は、1889年に檜枝岐村が単独で村制を施行して以来、そのままの姿です。岐阜県の白川村は、1875年に庄川沿いの20あまりの村がまとまってでき、1889年の町村制でも同じ区域のまま発足しました。宮崎県の椎葉村も1889年の発足から合併がなく、年表に記された変化は、1949年に西臼杵郡から東臼杵郡へ移ったことだけです。

和歌山県の北山村は、1889年に七色村・竹原村・大沼村・下尾井村・小松村が合わさって生まれた村です。奈良県と三重県に囲まれた和歌山県の飛び地にあり、今もその区域のまま続いています。

山の村が合併しなかった経緯が、年表に残っているところもあります。熊本県の産山村では、1957年に合併の相手を問う住民投票を行いましたが、6割に達する案がなく、村は合併に反対する意見にまとまりました。高知県の大川村では、2003年に本山町・土佐町との合併が検討されましたが、土佐町の住民投票で法定合併協議会の設置が否決され、村は単独で続くことになりました。

北海道の開拓地と、新しく生まれた村

北海道では、開拓が進むにつれて人の住む土地が広がり、大きな村から新しい村が分かれていきました。北海道の町村制は本州と仕組みが違い、二級町村制から一級町村制へと段階を踏んで整えられています。

幌加内町は、1918年に雨竜郡の上北竜村から分かれて戸長役場が置かれ、1923年に二級町村制を施行しました。1959年に町になってからも、ほかの町村と合併していません。音威子府村は1919年に常盤村として二級町村制を施行し、1963年に今の名前に改めました。

まったく新しく生まれた村もあります。秋田県の大潟村は、1964年10月1日に八郎潟を干拓してできた土地に置かれた村です。それまで湖だったところに村が生まれたため、合併の歴史そのものがありません。

大都市のそばの小さなまち

意外に多いのが、大都市の近くにある小さな市や町です。埼玉県の蕨市は、1889年に蕨宿と塚越村の区域で蕨町として発足し、1959年に市になりました。面積は全国の市でいちばん小さく、合併をせずに市になったまちです。千葉県の浦安市も、1889年に堀江村・猫実村・当代島村などから浦安村が生まれ、1909年に町、1981年に市になるまで、一度も合併していません。

兵庫県の芦屋市は、1889年に打出村・芦屋村・三条村・津知村などから精道村として発足し、1940年に村から町を経ずに市になりました。京都府の向日市(1889年に向日町、1972年に市)と大山崎町、宮城県の多賀城市、福岡県の志免町なども、町村制のときの区域のまま、町制や市制を施行して、町や市になってきたまちです。周りの都市が合併で大きくなるなかで、まちとしての名前と区域を保ち続けました。

合併はなくても、境界は動く

合併をしていないまちでも、区域が変わったことはあります。北海道の七飯町は、1978年に大野町と、1994年に上磯町と境界を変えています。奥尻町では、1936年と1958年に、どの町村にも属していなかった土地が奥尻村に編入されました。鹿児島県の三島村は、1952年に十島村から分かれる形で今の村になった、少し変わった歩みを持っています。

一つひとつの年表を見ると、合併をしなかったまちにも、島の暮らしや山の開発、都市の広がりに合わせた変化が刻まれていることがわかります。

この記事の数字について

取り上げたまちは、まちの系譜の年表で、町村制の施行のあとにほかの市町村との合併や編入がないことを一つずつ確かめたものです。町制・市制の施行や郡の変更、境界の変更は合併に含めていません。

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