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粟島浦村あわしまうらむら

粟島浦村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の粟島浦村

新潟県の北部、村上市の沖の日本海に浮かぶ粟島全体が一つの村です。集落は東岸の内浦と西岸の釜谷の二つで、本土の岩船港とは船で結ばれています。島全体が瀬波笹川流れ粟島県立自然公園に含まれ、仏崎などの海岸の景色が見られます。立島付近はオオミズナギドリとウミウの繁殖地として国の天然記念物です。初夏には岩場にイワユリが咲きます。

今の粟島浦村の区域の人口は、2020年の国勢調査で353人です。今の区域で数えた1980年の595人とくらべると40.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.4%です。

353人人口(2020年)
−40.7%1980年からの増減
9.78km²面積(国土地理院)
36人/km²人口密度
41.4%65歳以上の割合
5951980199020052020
15歳未満 11.9%15〜64歳 46.7%65歳以上 41.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:タイ漁などの漁業と、海水浴や釣りの観光が島の基幹産業です。

特産品・名産

  • わっぱ煮焼き魚とネギを入れた曲げわっぱに焼け石を落とす漁師料理
  • タイ初夏に大謀網で捕れる島を代表する魚
  • 粟島のじゃがいも7月に収穫され島外にも出荷される
  • 粟島じゃがいも焼酎 んっぽん島のじゃがいもで造る焼酎

見どころ・祭り

  • 仏崎新潟百景に選ばれた島の西海岸の景勝地
  • あわしま牧場乗馬体験ができる海辺の牧場
  • 内浦・釜谷の海水浴場遠浅の内浦と岩礁の釜谷の海水浴場
  • 野馬公園昭和初めまでいた野生馬の像が立つ
  • 漁火温泉 おと姫の湯内浦にある島の温泉

粟島浦村のなりたち

粟島浦村(あわしまうらむら)は、新潟県下越地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに粟島浦村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は岩船郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
10km²今の面積

「粟島浦村」という名前

村の名前は、村の区域である粟島にちなむ「粟島浦」という地名から来ています。1889年(明治22年)の町村制で、粟島浦の区域がそのまま一つの自治体となり、名前も「粟島浦」でした。1909年(明治42年)に「粟島浦村」と改めています。粟島という島の名の由来ははっきりしていません。平安時代初めの808年にまとめられた『大同類聚方』には「粟生」と書かれているとされます。『万葉集』の和歌に詠まれた粟島を、この島とする解釈もあります。

まちの成り立ち

粟島は村上市の沖、日本海に浮かぶ周囲約23kmの島で、島全体が一つの村です。島の5か所で縄文土器が見つかっており、古くから人が住んでいました。鎌倉・室町時代は色部氏の領地だったとされます。江戸時代には村上藩、庄内藩、幕府領、米沢藩の預かり地と、支配が何度も変わりました。北前船が寄る港としてもにぎわいました。

明治時代には大火が3度あり、古い文書の多くが失われました。1889年(明治22年)の町村制で粟島浦が発足し、1909年(明治42年)に粟島浦村となりました。昭和の大合併でも平成の大合併でもほかの市町村と合併せず、今も岩船郡に属する村です。

集落は東岸の内浦と西岸の釜谷の二つです。内浦には村役場と、岩船港と結ぶ船の発着所があります。1964年(昭和39年)の新潟地震では島が隆起し、水源が枯れたため、それまで行われていた稲作ができなくなりました。1974年(昭和49年)には高波で内浦の海岸の家々が流され、村役場も大きな被害を受けました。2018年(平成30年)8月には豪雨災害に見舞われ、国の激甚災害に指定されています。

島には昭和のはじめまで野生の馬がすみ、源義経が放した馬の子孫という言い伝えがあります。内浦の野馬公園には、その姿を伝える像が立っています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、岩船郡の粟島浦の区域がそのまま一つの自治体となり、粟島浦が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1909年粟島浦が改称して粟島浦村となった。種類:改称 出典:www.pref.niigata.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

粟島浦村1889〜今

参考にした資料