今の青ヶ島村
伊豆諸島の南部、八丈島のさらに南にある青ヶ島を区域とする村です。断崖に囲まれた火山島で、大きな火口の内側に丸山がある地形が特色です。集落は島の北部にあり、畑や港を結ぶ道が通ります。地熱で蒸気が湧く場所はひんぎゃと呼ばれ、塩づくりなどに使われています。島の焼酎や農産物の生産が続き、火山の景観を訪ねる観光も行われています。
今の青ヶ島村の区域の人口は、2020年の国勢調査で169人です。今の区域で数えた1980年の192人とくらべると12.0%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は18.3%です。
主な産業:農業、島焼酎や地熱を生かした塩の製造、島の自然を生かした観光が行われています。
特産品・名産
- 青酎島で造る焼酎
- ひんぎゃの塩島の地熱を利用して作る塩
- 島だれ島で作られる調味料
見どころ・祭り
- 丸山大きな火口の内側にある火山丘
- 大凸部島の火口地形を見渡す場所
- ひんぎゃ地熱による蒸気が湧く場所
木タブノキ花タメトモユリ鳥クロバト青ヶ島村の木・花・鳥
青ヶ島村のなりたち
青ヶ島村(あおがしまむら)は、東京都島しょ地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに青ヶ島村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、都内でもめずらしい村です。
「青ヶ島村」という名前
青ヶ島村の名は、村の区域である青ヶ島の島名を引き継いでいます。1940年4月1日に普通町村制が施行され、島全体が一つの村となりました。島名がそのまま村名になりました。1988年10月1日には村名の表示が「青ヶ島村」に統一されました。青ヶ島という島名そのものの詳しい語源ははっきりしていませんが、島の暮らしとともに同じ名が受け継がれています。
まちの成り立ち
青ヶ島は、八丈島の南にある火山島です。外側の大きな火口の中に丸山があり、断崖に囲まれた土地で人々が暮らしてきました。海の交通が難しい島では、畑の作物や周囲の海の恵みを使う生活が営まれていました。
1785年の天明の大噴火は、島の歩みを大きく変えました。生き残った島民は八丈島へ避難し、青ヶ島は無人島となりました。佐々木次郎太夫らが帰島と生活の再建を進め、1835年には島の再興を果たしました。長い避難の後にふるさとへ戻る還住の歴史は、村に受け継がれています。
1889年に本土で町村制が始まったとき、青ヶ島には同じ制度が適用されませんでした。1940年4月1日に普通町村制が施行され、青ヶ島村が自治体として発足しました。1943年の都制施行後は東京都の村となり、昭和の大合併や平成の大合併でも他の自治体と合併していません。1988年10月1日には村名の表示が統一されました。
今も島全体を一つの村が治めています。火山の地熱は、ひんぎゃと呼ばれる蒸気や製塩に使われ、島の焼酎づくりも続きます。八丈島との船やヘリコプターが島外との交通を担い、断崖に囲まれた小さな島の暮らしを結んでいます。
年表
- 1940年4月1日昭和15年普通町村制の施行により、東京府青ヶ島村が発足した。種類:町村制 出典:www.vill.aogashima.tokyo.jp
- 1988年10月1日昭和63年村名の表示が青ヶ島村に統一された。種類:その他 出典:www.vill.aogashima.tokyo.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。