今の蕨市
埼玉県南東部にある、中山道の宿場を背景に発展したまちです。旧街道沿いには蕨宿の歴史が伝わり、塚越地区には織物業の歩みがあります。鉄道の蕨駅が開設されてから住宅地が広がり、東京に近い市街地として発展してきました。成人式につながる青年祭が開かれた場所としても知られています。市の木はケヤキ、花はサツキで、身近な緑をまちの象徴にしています。
今の蕨市の区域の人口は、2020年の国勢調査で74,283人です。今の区域で数えた1980年の70,876人とくらべると4.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.4%です。
主な産業:双子織を生かしたかばんや衣服など、地域の技術を使う製品づくりが行われています。
特産品・名産
- 双子織のバッグ伝統織物の双子織を使うかばん
- わらびりんごサイダー市内で採れたリンゴの果汁を使う飲料
- わらびの蕨もち蕨の地名にちなみ開発された菓子
見どころ・祭り
- 蕨城跡現在は緑のある蕨城址公園として整備
- 和楽備神社市内の神社を合祀して生まれた神社
- 河鍋暁斎記念美術館幕末から明治の絵師ゆかりの美術館
木ケヤキ花サツキ蕨市の木・花
蕨市のなりたち
蕨市(わらびし)は、埼玉県南部地域の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに蕨町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は北足立郡に属していました。
「蕨市」という名前
「蕨」の由来には、植物のワラビにちなむ説と、「藁火」が変化したとする説があります。藁火説には、源義経が煙を見て名づけたという話や、在原業平が藁をたいてもてなされたという話が伝わります。いずれの説も、由来の確定には至っていません。1352年の文書には「蕨郷上下」の名が見られ、中世には地名が使われていました。宿場の名は蕨町を経て、現在の市名に受け継がれています。
まちの成り立ち
江戸時代の蕨は、中山道の宿場として発展しました。宿場の町並みの裏には用水がめぐり、生活用水のほか防火や防備にも役立ちました。塚越村を中心に綿織物業も盛んになり、洋糸を使った双子織が地域の産業を支えました。
1889年4月1日、町村制の施行により蕨宿と塚越村が合わさり、北足立郡蕨町が発足しました。1893年には蕨駅が開設され、鉄道によって周辺の都市と結ばれました。昭和の大合併期には蕨町・戸田町・美笹村の3町村合併がまとまりかけましたが、実現しませんでした。蕨町は1959年4月1日、単独で市制を施行しています。
平成の大合併では、川口市・鳩ヶ谷市との合併協議が行われました。新市名を「武南市」とする構想もありましたが、川口市が協議から離れ、合併は実現しませんでした。1889年に蕨町が発足して以来、市町村合併をせずに今日へ続いています。中山道の宿場と塚越の織物の地域がまとまった明治の区域を基本に、一つの自治体として歩んできたところに、蕨の成り立ちの特徴があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、蕨宿と塚越村の区域をもって蕨町が発足した。種類:町村制 出典:www.city.warabi.saitama.jp
- 1959年4月1日昭和34年蕨町が市制を施行し、蕨市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。