今の多賀城市
宮城県のほぼ中央、仙台市の北東に位置する市です。市街地は丘陵地帯の上に広がり、貞山運河や砂押川が流れます。奈良・平安時代には陸奥国府の多賀城が置かれ、多賀城跡をはじめ多くの文化財が残ります。南部には工業が立地し、国道沿いにロードサイド店が並びます。仙台都市圏のベッドタウンでもあり、西部には水田地帯が広がります。
今の多賀城市の区域の人口は、2020年の国勢調査で62,827人です。今の区域で数えた1980年の50,785人とくらべると23.7%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は25.2%です。
主な産業:仙台港に近い市南部に工場が集まり、仙台市のベッドタウンでもあります。
特産品・名産
- 多賀城古代米市内で作られ、菓子などにも使われる
見どころ・祭り
- 多賀城跡奈良・平安時代の陸奥国府の跡
- 多賀城碑国の重要文化財の古い石碑
- 多賀城廃寺跡多賀城に付属した寺院の跡
- 東北歴史博物館東北の歴史を展示する県の博物館
- 末の松山和歌の歌枕として知られる名所
木サザンカ花あやめ多賀城市の木・花
多賀城市のなりたち
多賀城市(たがじょうし)は、宮城県仙台地域の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに多賀城村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は宮城郡に属していました。
「多賀城市」という名前
市の名は、古代に陸奥国の国府が置かれた「多賀城」にちなみます。多賀城は奈良時代の724年(神亀元年)ごろ、今の市の北西部の丘の上に築かれました。それまで今の仙台市の郡山遺跡にあった国府が、ここに移ったと考えられています。多賀城は国府と鎮守府を兼ね、平安時代まで東北地方の政治と軍事の中心でした。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、宮城郡の新田村・山王村・南宮村・高橋村・浮島村・市川村・高崎村・八幡村・東田中村・留ヶ谷村・下馬村・笠神村・大代村の区域をまとめて、多賀城村が発足しました。古代の多賀城にちなんだ村名です。
昭和の初めには、村の一部がとなりの塩竈町(のちの塩竈市)に編入されました。1951年(昭和26年)7月1日に町制を施行して多賀城町となりました。戦後は仙台市や塩竈市に近いことから住宅地の開発が進み、1971年(昭和46年)11月1日に市制を施行して多賀城市となりました。そのあとも、仙台市との境界は何度か変更されています。
市内には、奈良・平安時代の陸奥国府だった多賀城跡や、多賀城碑、東北歴史博物館があります。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、津波で市域の約33.7%にあたる662ヘクタールが浸水しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、宮城郡の新田村・山王村・南宮村・高橋村・浮島村・市川村・高崎村・八幡村・東田中村・留ヶ谷村・下馬村・笠神村・大代村の区域で多賀城村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1951年7月1日昭和26年宮城郡多賀城村が町制を施行して多賀城町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1971年11月1日昭和46年宮城郡多賀城町が市制を施行して多賀城市となった。種類:市制施行 出典:www.city.tagajo.miyagi.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。