今の向日市
京都盆地の南西部にあり、西部の丘陵と中央部の段丘、東部の平野からなる市です。丘陵には竹林が広がり、たけのこの産地として知られています。かつて長岡京の中枢だった長岡宮の跡は公園として整備され、向日神社や西国街道沿いにも歴史を伝える景観が残ります。京都と大阪を結ぶ鉄道が通り、住宅地の身近に古墳や竹林、古い町並みがあるまちです。
今の向日市の区域の人口は、2020年の国勢調査で56,859人です。今の区域で数えた1980年の50,604人とくらべると12.4%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は27.1%です。
主な産業:たけのこや野菜、花きの栽培が行われ、街道沿いには商業地が発達しました。
特産品・名産
- たけのこ丘陵の竹林で育てる名産
- なす市内で栽培される野菜
- ポインセチア府が紹介する市の花き
見どころ・祭り
- 長岡宮跡古代の都の中枢を伝える史跡
- 向日神社市名の由来となった神社
- 竹の径竹林の景観を楽しむ散策路
- 西国街道歴史ある建物が残る街道
木モウソウチク、サクラ花ヒマワリ、ツツジ向日市の木・花
向日市のなりたち
向日市(むこうし)は、京都府山城地域の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに向日町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、府内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は乙訓郡に属していました。
「向日市」という名前
「向日市」の名前は、西部の丘陵の先端に鎮座する向日神社に由来します。神社の門前には向日町が成立し、西国街道を通る人々が行き交いました。1889年には向日町と周辺の五つの村が合併して、改めて向日町が発足しました。1972年の市制施行でも向日の名が引き継がれ、神社と門前の町の歩みを今に伝えています。
まちの成り立ち
向日市の中央部には、784年に造営された長岡京の中枢、長岡宮が置かれました。都が平安京へ移った後も人々の暮らしは続き、丘陵の先端に鎮座する向日神社の門前には向日町が成立しました。西国街道沿いには、商家や古い住宅、石造物などが残っています。竹林に覆われた西部の丘陵では、たけのこの生産が行われてきました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、乙訓郡向日町・鶏冠井村・上植野村・森本村・寺戸村・物集女村が合併し、改めて乙訓郡向日町が発足しました。1876年には大阪から向日町まで鉄道が開通し、1928年には新京阪鉄道が通りました。京都と大阪へ通じる交通が整い、高度経済成長期には住宅地の開発が進みました。
1954年からは、中山修一らによる長岡京跡の調査が始まりました。1964年には大極殿・小安殿跡が国の史跡に指定され、埋もれていた都の姿が明らかになっていきます。1972年(昭和47年)10月1日、向日町が市制を施行して向日市となりました。今も長岡宮跡の公園や向日神社、竹の径などに、古代の都から門前町、住宅都市へと続く歩みを見ることができます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、乙訓郡向日町・鶏冠井村・上植野村・森本村・寺戸村・物集女村が合併して改めて乙訓郡向日町が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1972年10月1日昭和47年乙訓郡向日町が市制を施行して向日市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。