今の音威子府村
上川総合振興局の北部にある村です。南は美深町、西は中川町、北は中頓別町、東は枝幸町に接します。天塩川が音威子府川と合流してから西へ向きを変えて村を貫き、川沿いに国道40号と宗谷本線が通ります。村域の約8割は山林で、道有林が大半を占めます。「森と匠の村」を掲げ、森林資源を生かした木工芸で村おこしを進めています。
今の音威子府村の区域の人口は、2020年の国勢調査で706人です。今の区域で数えた1980年の2,100人とくらべると66.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は30.4%です。
主な産業:農業と林業が基幹産業で、木工芸も盛んです。
特産品・名産
- 木工芸品「森と匠の村」の木工芸
- 音威子府そば殻つき粉で作る黒いそば
- 音威子府羊羹北海道産原料の手作り羊羹
見どころ・祭り
- エコミュージアムおさしまセンター砂澤ビッキのアトリエと作品の展示
- 北海道命名の地松浦武四郎が北加伊道を提案した場所
- 天塩川温泉村内の温泉
- 音威富士スキー場村が運営するスキー場
- 道の駅おといねっぷ村内の道の駅
木アカエゾマツ花シバザクラ鳥ブッポウソウ音威子府村の木・花・鳥
音威子府村のなりたち
音威子府村(おといねっぷむら)は、北海道上川地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに常盤村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は中川郡に属していました。
「音威子府村」という名前
「音威子府」は、アイヌ語の「オトイネㇷ゚」に由来するとされます。村では、濁った泥の川、流木が積もる川口、あるいは折れ曲がる川尻を意味すると説明しています。「川口のにごっている川」の意とする説もあり、音威子府川が天塩川に合流するあたりの様子を表した名と考えられています。村は1919年(大正8年)に常盤村として歩み始め、1963年(昭和38年)に今の音威子府村に名前を改めました。
まちの成り立ち
音威子府の一帯は、1901年(明治34年)に帝室の御料地となりました。1903年(明治36年)に御料地の貸付が始まると、小作の32戸が移り住み、これが開拓の先駆けとなりました。はじめは士別村の戸長役場の管轄で、1907年(明治40年)に下名寄外1村戸長役場へ、1912年(明治45年)3月には中川村戸長役場の管轄へと移っています。1916年(大正5年)4月1日、中川村戸長役場から分かれて常盤村戸長役場が置かれました。1919年(大正8年)4月1日に二級町村制が施行され、常盤村として村の歩みが始まりました。村の中心は天塩川と音威子府川が合わさるところにあり、鉄道の分岐点として栄えました。1963年(昭和38年)4月1日、常盤村は名前を改めて音威子府村になりました。1981年(昭和56年)からは「森と匠の村」を掲げ、森林を生かした木工芸による村おこしを進めています。
年表
- 1919年4月1日大正8年中川郡の常盤村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1963年4月1日昭和38年常盤村が名前を改め、音威子府村となった。種類:改称 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。