今の中川町
上川総合振興局管内の最北部にある町です。東西を山に囲まれた地形で、天塩川に沿って集落が点在します。町の中心部も天塩川の流域にあります。町の面積の大部分は森林です。町内にはパンケ山やペンケ山があり、安平志内川も流れます。基幹産業は酪農と林業です。斎藤茂吉が兄を訪ねて滞在した縁で、短歌のイベントが開かれています。
今の中川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,528人です。今の区域で数えた1980年の3,559人とくらべると57.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.5%です。
主な産業:酪農と林業が基幹産業です。
特産品・名産
- 生乳基幹産業の酪農で生産される
- 木材基幹産業の林業で生産される
見どころ・祭り
- 中川町エコミュージアムセンタークビナガリュウやアンモナイトの化石を展示
- 茂吉小公園斎藤茂吉の歌碑がある診療所の跡地
- 佐久ふるさと伝承館佐久駅舎にある昔の道具の展示
- ぽんぴら温泉町の公共温泉
木イチイ花ツツジ中川町の木・花
中川町のなりたち
中川町(なかがわちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに中川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は中川郡に属していました。
「中川町」という名前
入植が始まったころ、この土地には決まった名前がありませんでした。そこで、所属する中川郡の名から「中川」と名づけられたとされています。1906年(明治39年)に中川村が設置され、1919年(大正8年)に二級町村制の中川村となり、1964年(昭和39年)の町制施行で中川町になりました。
まちの成り立ち
中川では、1897年(明治30年)に御料地の貸付が始まり、天塩川の沿岸に28戸が入植しました。その後も移民が少しずつ増えていきました。1902年(明治35年)には天塩郡から中川郡が分けられています。1906年(明治39年)4月29日に中川村が置かれ、上名寄村外3村戸長役場の管轄に入りました。1907年(明治40年)には下名寄村外1村戸長役場の管轄に変わり、1912年(明治45年)4月1日に中川村戸長役場が置かれました。1916年(大正5年)4月1日には、北部の地域が常盤村(のちの音威子府村)として分かれています。大正のはじめには、天塩川流域でハッカの栽培が盛んになりました。1919年(大正8年)4月1日に二級町村制が施行され、1964年(昭和39年)5月1日に町制を施行して中川町になりました。歌人の斎藤茂吉は、兄が村内の志文内の診療所に勤めていた縁で村を訪れ、多くの歌を残しました。町ではこれを記念して短歌の催しを開いています。
年表
- 1919年4月1日大正8年中川郡の中川村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1964年5月1日昭和39年中川村が町制を施行し、中川町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。