今の遠別町
北海道の北西部、日本海側にある天塩郡の町です。遠別川のほかオタコシベツ川、ウツツ川などが流れ、海岸から山地までを町域に含みます。北東部の清川地区には水田があり、日本最北の水田所在地と紹介されています。稲作はもち米が中心で、酪農、漁業、林業も営まれます。海岸には金浦原生花園があり、町の中心に近い高台には富士見ヶ丘公園があります。
今の遠別町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,520人です。今の区域で数えた1980年の5,375人とくらべると53.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.0%です。
主な産業:農業(もち米)、酪農、漁業、林業が主な産業です。
特産品・名産
- もち米日本最北のもち米産地とされる
- 遠農きりもち遠別農業高校のもち米で作る切りもち
- 北の赤いしずく町産ミニトマトのトマトジュース
- 茂野ウコン牛町内の牧場で育てられる牛肉
見どころ・祭り
- 金浦原生花園エゾカンゾウが咲く海岸の原生花園
- 富士見ヶ丘公園桜とツツジの咲く公園
- 旭温泉町内の温泉
- 道の駅えんべつ富士見町の特産品を売る道の駅
木シラカンバ花ツツジ遠別町の木・花
遠別町のなりたち
遠別町(えんべつちょう)は、北海道留萌地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに遠別村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は天塩郡に属していました。
「遠別町」という名前
「遠別」は、アイヌ語に由来するとされますが、解釈には諸説があります。「ウイェペッ」(互いに話し合う川)とする説があり、このほか「ウェンペッ」(悪い川)とする説や、「ウエベツ」(二股の川)とする説もあります。幕末の探検家の松浦武四郎は、この川には魚類がきわめて少ないと記しました。川の名が、のちに村と町の名になっています。
まちの成り立ち
遠別の開拓は、1885年(明治18年)の秋に始まるとされます。秋田県出身の白幡源太郎が焼尻島で漁をしていたとき、突然の時化に遭って遠別の海岸(今の富士見)に流れ着きました。白幡は1887年(明治20年)7月に7人の漁民を連れて再び訪れ、漁業を営みながら周りの原野を開墾しました。これが記録に残る最も古い移住とされています。翌年には富山県出身の吉田五郎左衛門が幸和に移り住み、農業を始めました。その後も漁業や農業に携わる人々が各地から移ってきました。1903年(明治36年)4月に天塩村などの戸長役場から分かれて、遠別村戸長役場が置かれました。1919年(大正8年)4月1日に二級町村制が施行されて遠別村となり、1949年(昭和24年)4月1日に町制を施行して遠別町になりました。今の遠別町は、日本で最も北にあるもち米の産地として知られています。海岸の金浦原生花園には、夏にエゾカンゾウが咲きます。
年表
- 1919年4月1日大正8年天塩郡の遠別村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1949年4月1日昭和24年遠別村が町制を施行し、遠別町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。