今の羽幌町
留萌管内の中ほどにあり、日本海に面する町です。東には天塩山地のピッシリ山が連なり、西の沖合に天売島と焼尻島の二つの島があります。島は暑寒別天売焼尻国定公園に含まれます。札幌市からは北へ約180km離れ、国道232号の日本海オロロンラインが通ります。漁業では甘えびやホタテ、タコ、ウニが獲れ、農業や畜産、観光も営まれます。
今の羽幌町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,548人です。今の区域で数えた1980年の13,254人とくらべると50.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.3%です。
主な産業:漁業(甘えび・ホタテなど)、農業、畜産、観光が主な産業です。
特産品・名産
- 甘えび武蔵堆などで獲れる町の代表的な水産物
- 焼尻めん羊焼尻島の牧場で育つサフォーク種の羊
- オロロン米町産の米
- ホタテ・タコ・ウニ町の漁業で獲れる海産物
見どころ・祭り
- 天売島人と海鳥が共生する国定公園の島
- 焼尻島緑と原生花の国定公園の島
- はぼろバラ園町の観光の拠点の一つ
- 旧小納家住宅焼尻島に残る明治の建物。道指定文化財
- 北海道海鳥センター海鳥について紹介する施設
木イチイ(オンコ)花ツツジ羽幌町の木・花
羽幌町のなりたち
羽幌町(はぼろちょう)は、北海道留萌地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。天売村・焼尻村・羽幌村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の羽幌町になりました。
今の名前「羽幌町」は、1920年にあった羽幌村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は苫前郡に属していました。
「羽幌町」という名前
「羽幌」は、アイヌ語の「ハポロペツ」が語源といわれ、「広大な川の流れる地」の意味を含むとされています。羽幌川が流れ出る様子を表した名とする説で、町はこの説を紹介しています。このほか、海岸の砂が柔らかいことを表す「ハプル」とする説などもあります。1894年(明治27年)に羽幌村が置かれ、1921年(大正10年)に町制を施行して羽幌町となりました。
まちの成り立ち
羽幌の記録に残る始まりは、1871年(明治4年)に栖原家の支配人が鱒漁を試みたことです。明治20年代には青森県や石川県の人々が移り住み、漁業や捕鯨が盛んになりました。1894年(明治27年)2月に苫前村を分けて羽幌村が置かれ、1897年(明治30年)には苫前の戸長役場から分かれて羽幌村戸長役場が開かれました。1900年(明治33年)には北部が初山別村として分かれています。1902年(明治35年)に二級町村制、1909年(明治42年)に一級町村制が施行され、人口が8千人を超えた1921年(大正10年)7月1日に町制を施行して羽幌町となりました。沖合の焼尻村と天売村は、1906年(明治39年)にそれぞれ二級町村制の村となっていました。昭和に入ると国鉄羽幌線の開通や羽幌炭砿の採炭で町は栄え、1955年(昭和30年)4月1日に天売村を、1959年(昭和34年)4月1日に焼尻村を編入しました。炭砿の閉山後は、漁業や農業、二つの島を生かした観光でまちづくりを進めています。
年表
- 1902年4月1日明治35年苫前郡の羽幌村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年苫前郡の焼尻村と天売村に、それぞれ二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1909年4月1日明治42年羽幌村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1921年7月1日大正10年羽幌村が町制を施行し、羽幌町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年天売村が羽幌町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1959年4月1日昭和34年焼尻村が羽幌町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。