今の岩内町
後志総合振興局の管内にあり、日本海に面した町です。南西部の海岸は断崖や奇岩が連なり、雷電温泉の付近はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されています。江戸時代から日本海沿岸の交易の拠点で、岩内港を持つ漁業のまちです。農業も営まれ、日本のアスパラガス発祥の地として知られます。冬はスキー場を中心に観光客が訪れます。
今の岩内町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,648人です。今の区域で数えた1980年の22,373人とくらべると47.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.5%です。
主な産業:漁業と農業が中心で、アスパラガスの栽培で知られます。
特産品・名産
- アスパラガス日本の栽培発祥の地とされる
- たらこ岩内名産として魚店で扱われる
- 前浜の魚介前浜でとれた魚介を寿司店などで提供
見どころ・祭り
- 木田金次郎美術館町ゆかりの画家の美術館
- 荒井記念美術館野束にある美術館
- 弁慶の刀掛岩海岸の奇岩
- 円山展望台円山リゾート内の展望台
- ニセコいわない国際スキー場円山リゾートのスキー場
木ナナカマド花ハギ岩内町の木・花
岩内町のなりたち
岩内町(いわないちょう)は、北海道後志地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。島野村・岩内町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の岩内町になりました。
今の名前「岩内町」は、1920年にあった岩内町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の岩内町が約6km²だったのに対し、今の岩内町は約78km²と、およそ12.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は岩内郡に属していました。
「岩内町」という名前
「岩内」は、アイヌ語の「イワナイ」が変化した名で、「硫黄の流れる沢」の意とされています。1869年(明治2年)に岩内の名称が定められました。1955年(昭和30年)4月1日に旧岩内町と島野村が合わさって新しい岩内町となったときも、この名が引き継がれています。
まちの成り立ち
宝暦年間(1751年〜)から、岡田弥三右衛門らが場所請負人として岩内の漁場を取り仕切り、日本海沿岸の主要な土地として知られるようになりました。1869年(明治2年)に岩内の名称が定められ、1874年(明治7年)に岩内開拓分署が置かれ、1897年(明治30年)には岩内支庁が設置されました。1879年(明治12年)に岩内戸長役場が設置され、1900年(明治33年)に一級町村制が施行されて岩内町となります。島野村は、文化10年(1813年)に奥羽、函館、江差の地方から漁民が来住したのが始まりとされ、1909年(明治42年)4月1日に野束村と敷島内村が合わさって二級町村制を施行し、島野村となりました。1954年(昭和29年)には洞爺丸台風の強風の中で出火し、全家屋の約8割を焼く岩内大火がありました。翌1955年(昭和30年)4月1日、岩内町と島野村が廃止されて合わさり、新たに岩内町が設置されました。
年表
- 1879年岩内郡に岩内戸長役場が置かれた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1880年10月明治13年岩内郡に野束村外2村戸長役場が置かれた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1900年7月1日明治33年岩内町に一級町村制が施行された。同じ日に野束村外1村戸長役場が置かれた。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1909年4月1日明治42年岩内郡の野束村と敷島内村が合わさって二級町村制を施行し、島野村となった。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1938年4月1日昭和13年所属未定地が島野村に編入された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年岩内郡の岩内町と島野村が合併し、新しい岩内町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1958年11月1日昭和33年所属未定地が岩内町に編入された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1990年12月1日平成2年共和町との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。