今の豊頃町
十勝地方の東南端にあり、太平洋に面した町です。十勝川の流域と太平洋沿岸は平地で、そのほかは丘陵地帯です。十勝川の河口近くの大津は、十勝地方開拓の拠点になった十勝発祥の地とされます。畑作と酪農、大津漁港を拠点にした漁業が営まれます。冬には大津海岸に氷塊が打ち寄せるジュエリーアイスが見られ、ハルニレの木が町のシンボルになっています。
今の豊頃町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,022人です。今の区域で数えた1980年の5,779人とくらべると47.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.4%です。
主な産業:馬鈴薯・テンサイなどの畑作と酪農、大津漁港を拠点にした漁業が盛んです。
特産品・名産
- 馬鈴薯畑作で生産される作物の一つ
- サケ大津漁港を拠点とする漁で獲れる
- シシャモ大津漁港を拠点とする漁で獲れる
見どころ・祭り
- ジュエリーアイス大津海岸に氷が打ち寄せる冬の風物詩
- ハルニレの木町のシンボル。写真絵本のモデル
- 大津・長節原生花園海岸の原生花園
- 小川の滝町内の滝
木ニレ花エゾムラサキツツジ豊頃町の木・花
豊頃町のなりたち
豊頃町(とよころちょう)は、北海道十勝地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。大津村・豊頃村です。
今の名前「豊頃町」は、1920年にあった豊頃村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の豊頃村が約102km²だったのに対し、今の豊頃町は約589km²と、およそ5.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は中川郡・十勝郡に属していました。
「豊頃町」という名前
「豊頃」は、アイヌ語に由来するとされますが、もとの意味ははっきりしていません。松浦武四郎の『十勝日誌』には、この地を指すとみられる「トヒヲカ」の名があります。「トヨプカオロ」という語が由来とする説がありますが、その意味は不明とされ、「トエコロ(多くのフキ)」とする説もあります。
まちの成り立ち
十勝川の河口に近い大津は、十勝地方の開拓が川を河口から遡る形で進んだことから、十勝発祥の地とされています。1799年(寛政11年)に松前藩の家老が十勝場所を設置し、1825年(文政8年)に函館の杉浦嘉七が場所請負人となって大津に漁場を開きました。1880年(明治13年)に十勝外4郡戸長役場が大津に設置され、1897年(明治30年)には二宮尊徳の孫の二宮尊親が福島県から19戸を連れて来住し、興復社農場を営みました。1899年(明治32年)5月に豊頃外1村戸長役場が置かれ、1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行されて、大津村と豊頃村が設置されました。1952年(昭和27年)3月4日の十勝沖地震では、豊頃村と大津村が大きな被害を受けました。1955年(昭和30年)4月1日に大津村が廃止され、その一部の中部地区が豊頃村に編入されました。大津村の西部地区は大樹町に、東部地区は浦幌町に編入されています。1965年(昭和40年)1月1日に町制を施行し、豊頃町となりました。
年表
- 1880年十勝外4郡の戸長役場が大津に置かれた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1899年5月明治32年大津外6村戸長役場から分かれて、豊頃外1村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年中川郡の豊頃村と十勝郡の大津村に、それぞれ二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年十勝郡大津村が廃され、その中部地区が豊頃村に編入された。西部地区は大樹町に、東部地区は浦幌町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1965年1月1日昭和40年豊頃村が町制を施行し、豊頃町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。