今の枝幸町
宗谷地方の南東部にあり、東はオホーツク海に面する町です。海と山にはさまれて、平地は海岸沿いと川沿いに限られます。北見幌別川の河口付近には湿地が広がります。西部の旧歌登町の区域は山地で、面積の約8割を森林が占めます。明治中期には金の鉱床が見つかり、採掘で賑わいました。沿岸では漁業が、内陸では酪農が営まれています。
今の枝幸町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,565人です。今の区域で数えた1980年の13,633人とくらべると44.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.6%です。
主な産業:沿岸でホタテやケガニなどの漁業、内陸で酪農が営まれています。
特産品・名産
- 毛ガニかご漁で水揚げされる
- 鮭オホーツク海で水揚げされる
- ホタテ稚貝を撒いて育てる漁業
見どころ・祭り
- ウスタイベ千畳岩海岸に広がる平らな岩場
- 北幸公園ショウブ園町内の公園のショウブ園
- 枝幸温泉町内の温泉
- 歌登温泉旧歌登町の温泉
木エゾマツ、ナナカマド花フクジュソウ、ハマナス鳥カモメ、セキレイ枝幸町の木・花・鳥
枝幸町のなりたち
枝幸町(えさしちょう)は、北海道宗谷地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では枝幸村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は枝幸郡に属していました。
「枝幸町」という名前
「枝幸」は、アイヌ語の「エサシ」(岬)が変化した名とされています。松前藩が宗谷場所の一部として漁場を開いたころから使われてきた地名です。1947年(昭和22年)に町制を施行して枝幸町となり、2006年(平成18年)に歌登町と新設合併したあとも、枝幸町の名が引き続き使われています。
まちの成り立ち
枝幸の開拓は、貞享年間に松前藩が宗谷場所の一部として漁場を開いたことに始まります。1878年(明治11年)に枝幸郡に枝幸・頓別・歌登・礼文の4村が置かれ、1891年(明治24年)には枝幸村外3村戸長役場が設けられました。1909年(明治42年)4月1日、この4村の区域で二級町村制が施行され、枝幸村が発足しました。1916年(大正5年)4月1日には頓別村(今の浜頓別町・中頓別町)が分かれ、1923年(大正12年)に一級町村制となりました。1939年(昭和14年)9月1日には内陸の歌登村が分かれています。1947年(昭和22年)10月1日に町制を施行して枝幸町になりました。歌登村も1962年(昭和37年)1月1日に町制を施行して歌登町となりました。2006年(平成18年)3月20日、枝幸町と歌登町が新設合併し、新しい枝幸町が生まれました。合併後、旧歌登町の区域には地域自治区が置かれています。
年表
- 1909年4月1日明治42年枝幸郡の枝幸村・頓別村・歌登村・礼文村の区域で二級町村制が施行され、枝幸村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1916年4月1日大正5年枝幸村から頓別村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1939年9月1日昭和14年枝幸村から歌登村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1947年10月1日昭和22年枝幸村が町制を施行し、枝幸町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1962年1月1日昭和37年歌登村が町制を施行し、歌登町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 2006年3月20日平成18年枝幸町と歌登町が合併し、新しい枝幸町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。