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猿払村さるふつむら

猿払村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

0町村から

今の猿払村

宗谷総合振興局管内の北部、オホーツク海側にある村です。東は海岸が続いて国道238号が南北に通り、西は丘陵と山岳地帯で、村域の約8割が森林です。漁業と酪農が盛んで、ホタテの漁獲が主産業で、稚貝の放流など資源管理を徹底しています。エサヌカ原生花園や、イトウ釣りができる猿払川、ポロ沼などの自然があります。

今の猿払村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,611人です。今の区域で数えた1980年の3,358人とくらべると22.2%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は23.6%です。

2,611人人口(2020年)
−22.2%1980年からの増減
675.5km²面積(概算)
4人/km²人口密度
23.6%65歳以上の割合
3,3741980199020052020
15歳未満 14.1%15〜64歳 62.3%65歳以上 23.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:漁業(ホタテ)と酪農が盛んです。

特産品・名産

  • ホタテ村の主産業。天然ホタテの水揚げ
  • 帆立のりホタテを使った佃煮
  • コケモモワイン村の特産物として紹介

見どころ・祭り

  • エサヌカ原生花園オホーツク海沿いの原生花園
  • ポロ沼北オホーツク道立自然公園の沼
  • 猿払川のイトウ釣りイトウは村の魚
  • さるふつ温泉村内の温泉

木ナナカマド花コケモモ猿払村の木・花

猿払村のなりたち

猿払村(さるふつむら)は、北海道宗谷地方の村です。

1920年の時点で、この区域の町村は宗谷郡に属していました。

01920年の町村の数
0回合併・編入の回数
676km²今の面積

「猿払村」という名前

「猿払」は、アイヌ語の「サㇽプッ」(葦原の・河口の意)に由来します。もとは現在の浜猿払地区付近の川口を指した地名で、のちに村名や河川名になりました。「サラ・ブツ」(茅の生えた河口の意)から転訛したとする説もあります。1924年(大正13年)に宗谷村から分かれて、二級町村制の猿払村が発足しました。

まちの成り立ち

猿払は、江戸時代の中ごろから松前藩の場所請負制による漁場が開かれた地です。寛政から文化のころには、ロシア船の来襲に備えて秋田と会津の藩士が駐在しました。1897年(明治30年)には、ホタテの生息地の発見や木材業の発展で急に人が増えました。1909年(明治42年)に宗谷村に合併していましたが、1924年(大正13年)に宗谷村から分村して二級町村制の猿払村が発足しました。1934年(昭和9年)12月には樺太との間に海底ケーブルが敷設され、浜猿払に中継所が置かれました。1939年(昭和14年)12月にはソ連船インディギルカ号が浜鬼志別沖で座礁し、村民が多くの人命を救助しました。1947年(昭和22年)には引揚者の入植などで内陸の戦後開拓が進みました。戦後は炭鉱と林業、酪農が中心でしたが、炭鉱の閉山が相次ぎ、1971年(昭和46年)から村の漁協がホタテの稚貝の放流事業を始めました。2001年(平成13年)2月5日には村内全域で字名が改められています。

年表

  1. 1909年4月1日明治42年宗谷村・泊内村・猿払村の区域で北海道二級町村制が施行されて宗谷村が発足し、猿払の地は宗谷村の一部となった。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  2. 1924年1月1日大正13年宗谷村から分かれて北海道二級町村制を施行し、猿払村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

猿払村1889〜今

参考にした資料