今の大潟村
秋田県の西部にあり、かつての八郎潟を干拓してできた村です。村域のほとんどは平らな農地で、自然にできた川や山はありません。外周は八郎潟の残る水域で、周りの市町村との境になっています。村域の中央部に北緯40度と東経140度の交点があり、経緯度交会点標示塔が建っています。生活の中心は西中央部の「総合中心地」に集まっています。
今の大潟村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,011人です。今の区域で数えた1980年の3,334人とくらべると9.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.9%です。
主な産業:広い農地を生かした稲作が中心で、玉ねぎ・カボチャなども作られます。
特産品・名産
- あきたこまち村の農業の中心となる米
- 潟たまねぎJAの施設で選別して出荷される玉ねぎ
- パンプキンパイカボチャを使った村の特産品
見どころ・祭り
- 桜・菜の花ロード県道沿い約11kmに菜の花が咲く
- ソーラースポーツライン一周約25kmの周回コース
- 大潟村干拓博物館干拓の歴史を伝える博物館
- 大潟富士1990年代に造られた築山
- ポルダー潟の湯モール泉の温泉保養施設
木クロマツ花サルビア鳥ハクチョウ大潟村の木・花・鳥
大潟村のなりたち
大潟村(おおがたむら)は、秋田県県央の村です。
1920年の時点で、この区域の町村は南秋田郡に属していました。
「大潟村」という名前
平安時代のころ「大方(おおがた)」と呼ばれていた八郎潟は、のちに「大潟」と記すようになったと伝えられています。村名はこれに基づき、公募で全国から寄せられた候補の中から、1964年(昭和39年)7月22日に選ばれました。
「八郎潟は平安時代の古文書によると大方〈おおがた〉と呼ばれており、それが後に「大潟」に変わったと伝えられています。」── 大潟村「大潟村の紹介」
まちの成り立ち
大潟村は、八郎潟の湖底を干拓してできた土地に生まれた村です。八郎潟は琵琶湖に次ぐ日本で2番目に広い湖でした。1954年(昭和29年)にオランダの技術者らが来日して調査を進め、1957年(昭和32年)から国の干拓事業が始まります。
村は工事の途中の1964年(昭和39年)10月1日に、南秋田郡大潟村として発足しました。村の名は同じ年の7月に公募から選ばれています。発足したときの人口は6世帯14人でした。1967年(昭和42年)からは全国から選ばれた入植者が5回に分かれて村に移り住み、大規模な稲作を始めました。干拓事業は1977年(昭和52年)3月に完了しています。
村の土地はすべて海面より低く、まわりを約52kmの干拓堤防が囲んでいます。堤防の外側には八郎潟の残った水域があり、これが周りの市町村との境になっています。平成の大合併では、男鹿市と若美町の合併協議会に加わったこともありましたが、村として続く道を選びました。
年表
- 1964年10月1日昭和39年八郎潟の干拓でできた土地に大潟村が新しく置かれた。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1964年10月1日昭和39年大潟村の属する郡が南秋田郡と定められた。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。