今の八郎潟町
秋田市の北にある、県内でいちばん面積の小さい町です。西は八郎潟の東部承水路をへだてて大潟村と接し、町のほとんどは開けた平野です。県内では雪が少なく、比較的あたたかい地域です。八郎湖は全国に知られる釣り場で、一日市盆踊りや願人踊、裸参りなどの伝統行事にも多くの人が訪れます。JR奥羽本線と国道7号が町を南北に通っています。
今の八郎潟町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,583人です。今の区域で数えた1980年の8,228人とくらべると32.1%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.4%です。
主な産業:米を中心とする農業と、衣服や食料品の製造業、商業があります。
特産品・名産
- 米町の農業生産額のほとんどを占める作物
見どころ・祭り
- 八郎湖全国に知られる釣り場。野鯉・鮒釣り大会
- 一日市盆踊り8月18日から20日に踊られる盆踊り
- 願人踊5月5日に行われる伝統行事
- 一日市裸参り元日に行われる伝統行事
木ケヤキ花サツキ八郎潟町の木・花
八郎潟町のなりたち
八郎潟町(はちろうがたまち)は、秋田県県央の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。面潟村・一日市村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の八郎潟町になりました。
今の名前「八郎潟町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は南秋田郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧一日市村の区域には一日市駅(奥羽本線)があります。
「八郎潟町」という名前
町の名は、町の西に広がっていた湖「八郎潟」からとられています。1956年(昭和31年)に一日市町と面潟村が合併したとき、新しい町の名に湖の名が選ばれました。湖はその後の干拓で大部分が陸地となり、今は八郎湖と呼ばれる水面と承水路が残っています。八郎潟という湖の名の由来は、はっきりしていません。
まちの成り立ち
八郎潟町は秋田市の北にあり、西は承水路をへだてて大潟村と接しています。面積は県内の町でいちばん小さく、町のほとんどは開けた平野です。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、南秋田郡に一日市村と面潟村が発足しました。1902年(明治35年)には奥羽本線が通りました。一日市村は1925年(大正14年)12月1日に町制を施行して一日市町となりました。1945年(昭和20年)には大火があり、多くの家が焼けています。
1956年(昭和31年)9月30日、一日市町と面潟村が合併し、八郎潟町が誕生しました。1958年(昭和33年)4月1日には、浦横町・野田などの地区が五城目町に移っています。同じ年に八郎潟の干拓工事が始まり、湖の大部分は陸地になりました。
平成の大合併では、五城目町・井川町と法定の合併協議会を設けましたが、2005年(平成17年)に協議会は廃止され、八郎潟町として続いています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南秋田郡に一日市村と面潟村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1925年12月1日大正14年南秋田郡一日市村が町制を施行して一日市町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年南秋田郡の一日市町と面潟村が合併して八郎潟町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1958年4月1日昭和33年八郎潟町の一部(浦横町・野田と、浦大町・小池・川崎の各一部)が五城目町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。