今の五城目町
秋田県中部、南秋田郡にある町です。秋田市の北に位置し、東部は馬場目岳を含む山間部、西部は市街地と田園が広がります。馬場目川や内川川、富津内川が流れ、西の端は八郎潟調整池に接します。中心部では500年の歴史があるとされる朝市が開かれ、町のシンボルである森山の上には五城目城が建っています。
今の五城目町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,538人です。今の区域で数えた1980年の15,953人とくらべると46.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.3%です。
主な産業:稲作などの農業と林業、朝市に代表される商業が中心です。
特産品・名産
- 五城目朝市2・5・7・0のつく日に開かれる五百年の市
- ダマコ餅丸めたご飯を地鶏の汁で煮る鍋料理
- 山菜・キノコ春は山菜、秋はキノコが朝市に並ぶ
見どころ・祭り
- 森山町のシンボルの山。一帯が自然公園
- 五城目城森山にある城の形の建物
- 馬場目岳太平山県立自然公園にそびえる山
- 雀館公園町の中心に近い丘の公園
- ネコバリ岩馬場目川上流のほとりの大岩
木スギ花ヤマユリ鳥ウグイス五城目町の木・花・鳥
五城目町のなりたち
五城目町(ごじょうめまち)は、秋田県県央の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。馬川村・内川村・富津内村・大川村・馬場目村・五城目町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の五城目町になりました。
今の名前「五城目町」は、1920年にあった五城目町の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は南秋田郡に属していました。
「五城目町」という名前
平安時代の辞書『和名類聚抄』に見える「率浦郷(いさうらごう)」が今の五城目のあたりと考えられ、その名がもとになって「五十目(いそのめ)」の地名が生まれたとみられています。江戸時代には「五十目」を「ごじゅうのめ」と読むようになり、のちに縁起のよい字をあてて「五城目」と書く人も出てきました。1896年(明治29年)に町制を施行したとき、この「五城目」の字が町名に選ばれました。
「江戸時代の格好のいい表記を、町制を始めるに当たって採用したとのことである。」── 五城目町「町の概要」
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、南秋田郡に五十目村が発足しました。周りには馬川村・大川村・馬場目村・富津内村・内川村が置かれています。五十目村は1896年(明治29年)1月18日に町制を施行し、五城目町となりました。町の中心では、五百年の歴史をもつとされる朝市が今も開かれています。
1942年(昭和17年)4月1日、馬川村が五城目町に編入されました。1955年(昭和30年)3月31日には、五城目町・馬場目村・富津内村・内川村・大川村の5町村が合併し、新しい五城目町が発足しています。町章は、中世にあった浦城・岡本城・砂沢城・馬場目城・山内城の五つの城を表したもので、1960年(昭和35年)に定められました。1958年(昭和33年)4月1日には、八郎潟町の一部が五城目町に編入されています。
平成の大合併では、隣の井川町・八郎潟町と法定の合併協議会を設けましたが、2005年(平成17年)2月に協議会は廃止され、五城目町として続いています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南秋田郡に五十目村・馬川村・大川村・馬場目村・富津内村・内川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年1月18日明治29年南秋田郡五十目村が町制を施行し、五城目町と改めた。種類:町制施行 出典:www.town.gojome.akita.jp
- 1942年4月1日昭和17年南秋田郡馬川村が五城目町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年南秋田郡の五城目町・馬場目村・富津内村・内川村・大川村が合併し、新しい五城目町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.gojome.akita.jp
- 1958年4月1日昭和33年八郎潟町の一部(浦横町・野田と、浦大町・小池・川崎の各一部)が五城目町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。