今の秋田市
秋田県の沿岸中部にある県庁所在地で、中核市です。日本海に面し、雄物川や旭川、岩見川などが流れます。久保田藩の城下町として発展し、土崎港は北前船の寄港地として栄えました。港にある秋田港の周辺には工業団地が広がり、県の政治・経済・交通の中心になっています。東の山間部には太平山があり、郊外には田園や公園が続きます。
今の秋田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で307,672人です。今の区域で数えた1980年の304,823人とくらべると0.9%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.8%です。
主な産業:県庁所在地としての行政・商業・サービス業と、秋田港周辺の工業団地が中心です。
特産品・名産
- きりたんぽ鍋新米でつくるたんぽを煮込む郷土料理
- しょっつる鍋名物の魚ハタハタを使う鍋料理
- 地酒市内にある5つの酒蔵の日本酒
見どころ・祭り
- 千秋公園久保田城跡を整備した公園
- 秋田城跡高清水公園にある古代の城柵跡
- 秋田市立赤れんが郷土館旧秋田銀行本店本館で重要文化財
- 大森山動物園市営の動物園
木ケヤキ花サツキ秋田市の木・花
秋田市のなりたち
秋田市(あきたし)は、秋田県県央の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、28の町村がありました。牛島町・川尻村・旭川村・士崎港町・寺内村・廣山田村・新屋町・上新城村・下新城村・飯島村・太平村・外旭川村・下北手村・上北手村・仁井田村・浜田村・豊岩村・四ツ小屋村・下浜村・金足村・岩見三内村・豊島村・和田村・種平村・戸米川村・大正寺村・川添村・秋田市です。これらの町村が、11回の合併や編入を経て、今の秋田市になりました。
今の名前「秋田市」は、1920年にあった秋田市の名前を受け継いでいます。ほかの27の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は南秋田郡・河辺郡・由利郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、河辺郡は2005年(平成17年)1月11日に廃止されました、由利郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。
「秋田市」という名前
「秋田」という地名の由来は、はっきりしていません。『日本書紀』には、658年に阿倍比羅夫が「齶田(あぎた)」の蝦夷と会ったことが書かれ、これが「あきた」の名が記録に出てくる最初とされます。733年には出羽柵が秋田村の高清水岡に移され、のちに秋田城と呼ばれました。江戸時代の久保田城下は1871年(明治4年)に秋田町と改められ、それが市の名に受けつがれています。
まちの成り立ち
江戸時代、佐竹氏の久保田城の城下町として開けた町は、1871年(明治4年)に秋田町と改められました。1889年(明治22年)4月1日、市制の施行で秋田市が発足します。日本で最初に市制を施行した市の一つです。
市はその後、周りの町村を編入して広がりました。1924年(大正13年)に牛島町、1926年(大正15年)に川尻村、1933年(昭和8年)に旭川村が編入されます。1941年(昭和16年)4月1日には、港町の土崎港町と寺内町・広山田村・新屋町が加わりました。寺内村は1933年に町制を施行して寺内町となっていました。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)10月1日に太平村・外旭川村・飯島村・下新城村・上新城村・浜田村・豊岩村・仁井田村・四ツ小屋村・上北手村・下北手村・下浜村の12村が一度に編入されました。1955年(昭和30年)1月1日には金足村の大部分が加わり、残りは昭和町に入っています。
南の河辺郡では、1955年に和田町・豊島村・岩見三内村が合併して河辺町が、1956年に種平村・戸米川村・大正寺村が合併して雄和村が生まれました。雄和村は翌年に川添村を編入し、1972年(昭和47年)に雄和町となります。2005年(平成17年)1月11日、河辺町と雄和町が秋田市に編入され、河辺郡はなくなりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年市制の施行により、南秋田郡秋田町の区域で秋田市が発足した。種類:市制施行 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南秋田郡に土崎港町・川尻村・寺内村・広山田村・太平村・上旭川村・下旭川村・外旭川村・飯島村・下新城村・上新城村・金足村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河辺郡に牛島村・新屋村・浜田村・豊岩村・仁井田村・四ツ小屋村・川添村・中川村・豊島村・和田村・岩見三内村・上北手村・下北手村が、由利郡に大正寺村・下浜村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1892年南秋田郡の上旭川村と下旭川村が合併して旭川村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1895年11月明治28年河辺郡中川村が分かれ、種平村と戸米川村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1896年5月16日明治29年河辺郡牛島村が町制を施行して牛島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1896年6月1日明治29年河辺郡新屋村が町制を施行して新屋町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1905年8月1日明治38年南秋田郡の寺内村・旭川村・広山田村の各一部が秋田市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1909年12月21日明治42年南秋田郡旭川村の一部が秋田市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1924年4月1日大正13年河辺郡牛島町が秋田市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1926年4月1日大正15年南秋田郡川尻村が秋田市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1933年3月14日昭和8年南秋田郡旭川村が秋田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1933年8月1日昭和8年南秋田郡寺内村が町制を施行して寺内町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1935年1月1日昭和10年河辺郡和田村が町制を施行して和田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1941年4月1日昭和16年南秋田郡の土崎港町・寺内町・広山田村と、河辺郡新屋町が秋田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1942年4月1日昭和17年河辺郡豊島村が和田町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1948年4月1日昭和23年大正寺村の所属が由利郡から河辺郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1950年7月1日昭和25年和田町の一部(戸島・北野田高屋・松淵・畑谷・豊成)が分かれ、ふたたび豊島村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年南秋田郡の太平村・外旭川村・飯島村・下新城村・上新城村、河辺郡の浜田村・豊岩村・仁井田村・四ツ小屋村・上北手村・下北手村、由利郡の下浜村が秋田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1955年1月1日昭和30年南秋田郡金足村が分かれ、大部分が秋田市に、乱橋と八丁目の一部が昭和町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年河辺郡の和田町・豊島村・岩見三内村が合併して河辺町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年河辺郡の種平村・戸米川村・大正寺村が合併して雄和村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1957年6月1日昭和32年河辺郡川添村が雄和村に編入された。種類:編入 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 1972年4月1日昭和47年河辺郡雄和村が町制を施行して雄和町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.akita.lg.jp
- 2005年1月11日平成17年河辺郡の河辺町と雄和町が秋田市に編入され、河辺郡はなくなった。種類:編入 出典:www.pref.akita.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。