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男鹿市おがし

1920年には10の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今の男鹿市になりました。

10町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の男鹿市

秋田県の西部、日本海に突き出した男鹿半島のほとんどを占める市です。三方を海に囲まれ、半島には寒風山と本山があり、滝川などが海へ流れます。西部には戸賀湾があり、東側には八郎潟調整池があります。海岸には奇岩や洞窟が続き、ハタハタなどの水産業で知られます。大晦日の行事「なまはげ」の伝わる土地として、全国から人が訪れます。

今の男鹿市の区域の人口は、2020年の国勢調査で25,154人です。今の区域で数えた1980年の47,829人とくらべると47.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.2%です。

25,154人人口(2020年)
−47.4%1980年からの増減
258km²面積(概算)
97人/km²人口密度
47.2%65歳以上の割合
47,8291980199020052020
15歳未満 6.9%15〜64歳 45.9%65歳以上 47.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:ハタハタなどの漁業と、なまはげや温泉、海岸の景色を生かした観光です。

特産品・名産

  • しょっつるハタハタからつくる魚醤
  • ハタハタずしハタハタを使った伝統の鮨
  • 石焼料理熱した石で魚介を煮る漁師料理

見どころ・祭り

  • なまはげ大晦日の行事。国の重要無形民俗文化財
  • 寒風山男鹿半島のシンボルの山
  • 入道崎夕日で知られる半島の先端部
  • 赤神神社五社堂国の重要文化財
  • 男鹿水族館GAO秋田県立の水族館

木スギ花ツバキ鳥アオサギ男鹿市の木・花・鳥

男鹿市のなりたち

男鹿市(おがし)は、秋田県県央の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。南磯村・五里合村・戸賀村・男鹿中村・脇本村・船川港町・北浦町・船越町・潟西村・払戸村です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の男鹿市になりました。

今の名前「男鹿市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの10の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の北浦町が約43km²だったのに対し、今の男鹿市は約258km²と、およそ6.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は南秋田郡に属していました。

101920年の町村の数
5回合併・編入の回数
258km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「男鹿市」という名前

「男鹿」という地名の由来は、はっきりしていません。古くから男鹿半島一帯の呼び名として使われてきた名で、1954年(昭和29年)に船川港町と周りの4村が合併して市制を施行したとき、半島の名をとって男鹿市と名づけられました。2005年(平成17年)に若美町と合併した今の市も、同じ名を受けついでいます。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、男鹿半島の一帯には南秋田郡の船越村・船川村・北磯分村・南磯分村・脇本村・戸賀村・男鹿中村・五里合村・潟西村・払戸村が発足しました。船川村は1894年(明治27年)に町制を施行して船川港町に、北磯村(もとの北磯分村)は1902年(明治35年)に北浦町に、船越村は1904年(明治37年)に船越町になります。1942年(昭和17年)4月1日には南磯村が船川港町に編入されました。

1954年(昭和29年)3月31日、船川港町・脇本村・五里合村・男鹿中村・戸賀村が合併して市制を施行し、男鹿市が発足しました。翌1955年(昭和30年)3月1日には北浦町と船越町が編入されています。1965年(昭和40年)には秋田湾地区新産業都市の指定を受け、港の整備や工場の立地が進みました。

八郎潟の西側では、1956年(昭和31年)4月1日に払戸村と潟西村が合併して琴浜村が生まれ、八郎潟の干拓で広い農地を得ました。琴浜村は1970年(昭和45年)11月1日に町制を施行して若美町となります。2005年(平成17年)3月22日、男鹿市と若美町が合併し、新しい男鹿市が発足しました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南秋田郡に船越村・船川村・北磯分村・南磯分村・脇本村・戸賀村・男鹿中村・五里合村・潟西村・払戸村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1891年11月11日明治24年南秋田郡南磯分村が南磯村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
  3. 1891年11月18日明治24年南秋田郡北磯分村が北磯村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
  4. 1894年10月24日明治27年南秋田郡船川村が町制を施行し、船川港町と改めた。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1902年6月4日明治35年南秋田郡北磯村が町制を施行し、北浦町と改めた。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  6. 1904年12月20日明治37年南秋田郡船越村が町制を施行して船越町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  7. 1942年4月1日昭和17年南秋田郡南磯村が船川港町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  8. 1954年3月31日昭和29年南秋田郡の船川港町・脇本村・五里合村・男鹿中村・戸賀村が合併し、市制を施行して男鹿市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.akita.lg.jp
  9. 1955年3月1日昭和30年南秋田郡の北浦町と船越町が男鹿市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  10. 1956年4月1日昭和31年南秋田郡の払戸村と潟西村が合併して琴浜村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.akita.lg.jp
  11. 1970年11月1日昭和45年南秋田郡琴浜村が町制を施行し、若美町と改めた。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  12. 2005年3月22日平成17年男鹿市と南秋田郡若美町が合併し、新しい男鹿市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.akita.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

男鹿市1954〜今
琴浜村→若美町1956〜2005
潟西村1889〜1956
払戸村1889〜1956
北浦町1902〜1955
船越町1904〜1955
五里合村1889〜1954
戸賀村1889〜1954
男鹿中村1889〜1954
脇本村1889〜1954
船川港町1894〜1954
南磯村1891〜1942

参考にした資料