今の奥尻町
檜山振興局管内にあり、日本海に浮かぶ奥尻島の全域が町域です。北海道本土とは江差港へのフェリーや空路で結ばれています。島には鍋釣岩などの奇岩や、長浜海岸、神威脇温泉があります。主な産業はキタムラサキウニなどの漁業と観光です。1993年の北海道南西沖地震の被害を受けた島で、奥尻島津波館があります。島内には神社や寺院が点在します。
今の奥尻町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,410人です。今の区域で数えた1980年の5,490人とくらべると56.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.4%です。
主な産業:ウニなどの水産業と観光が主な産業です。
特産品・名産
- キタムラサキウニ島の漁業を代表するウニ
- 奥尻あわび奥尻あわび組合が出荷するアワビ
見どころ・祭り
- 鍋釣岩島の北西にある岩。町指定の名勝
- 賽の河原公園毎年6月に賽の河原まつりがある
- 奥尻島津波館青苗エリアの観光スポット
- 神威脇温泉北西エリアにある温泉
木オンコ(イチイ)花ハマナス奥尻町の木・花
奥尻町のなりたち
奥尻町(おくしりちょう)は、北海道檜山地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに奥尻村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は奥尻郡に属していました。
「奥尻町」という名前
「奥尻」は、アイヌ語の「イクシュンシリ」(沖の島、または「その向こうの島」の意)が転訛した名とされます。「ヲコシリ」(向かいの島の意)が転訛したとする説もあります。1906年(明治39年)に二級町村制で奥尻村が発足し、1966年(昭和41年)1月1日の町制施行で奥尻町になりました。
まちの成り立ち
奥尻町は、奥尻島の全域にあたります。島に定住した人の始まりは、1871年(明治4年)に亀田郡小安村から田口久兵衛が移り、松江に居を定めたこととされています。島の南端の青苗砂丘遺跡では、ニホンアシカなどの海獣を狩り、エゾアワビを採る暮らしを示す住居跡や遺物が見つかっています。1879年(明治12年)7月15日に釣懸村に戸長役場が置かれました。1885年(明治18年)には、不漁のときに酒に溺れる漁師を戒めるため、戸長が罰金付きの禁酒令を出し、この令は1890年まで続きました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行され、釣懸村・赤石村・青苗村・薬師村をまとめて奥尻村が発足しました。1941年(昭和16年)に字名が改められ、1966年(昭和41年)1月1日に町制を施行して奥尻町になりました。1993年(平成5年)7月12日には北海道南西沖地震が起き、津波や土砂災害で多くの犠牲者が出ました。
年表
- 1906年4月1日明治39年釣懸村・赤石村・青苗村・薬師村の区域で北海道二級町村制が施行され、奥尻村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1936年5月25日昭和11年所属未定地が奥尻村に編入された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1958年2月1日昭和33年所属未定地が奥尻村に編入された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1966年1月1日昭和41年奥尻村が町制を施行し、奥尻町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。