今の知夫村
隠岐諸島の最南端にあり、本州本土に最も近い村です。有人島の知夫里島と、周りの無人島からなります。島は火山島で、西海岸には高さ50〜200メートルの赤い岩の壁「知夫赤壁」が約1キロ続きます。最高峰の赤ハゲ山は草に覆われ、牛の放牧地になっています。大山隠岐国立公園の一部で、隠岐ユネスコ世界ジオパークにも登録されています。島根県で唯一の村です。
今の知夫村の区域の人口は、2020年の国勢調査で634人です。今の区域で数えた1980年の1,068人とくらべると40.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.8%です。
主な産業:漁業と、赤ハゲ山などでの牛の放牧が中心です。
特産品・名産
- サザエ島の磯で行うかなぎ漁で捕れる貝
- イワガキ島で養殖している貝
- ヨコワ2004年に漁が始まったマグロの幼魚
見どころ・祭り
- 知夫赤壁西海岸の赤い海食崖。国の名勝・天然記念物
- 赤ハゲ山島の最高峰。島前カルデラを一望できる
- 島津島お松橋で渡る無人島。遊歩道と海水浴場がある
- 天佐志比古命神社後醍醐天皇が腰掛けたと伝わる石がある
知夫村のなりたち
知夫村(ちぶむら)は、島根県隠岐の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに知夫村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は隠岐郡に属していました。
「知夫村」という名前
「知夫」の名は、島の名の知夫里(ちぶり)から来ています。昔の船乗りが海の安全を願い、この島に道の神である道触神(ちぶりのかみ)をまつったことが名の起こりと考えられています。古代には智夫郡(『和名抄』では知夫郡)に属していました。1904年(明治37年)に隠岐で町村制が始まったとき、島の名をとって知夫村が生まれました。
まちの成り立ち
知夫村は、隠岐諸島のいちばん南にある知夫里島と、そのまわりの無人島からなる村です。隠岐の中で本土にもっとも近いため、奈良・平安の時代から、日本海を行き来する船が嵐を避けたり風を待ったりする港として大切にされてきました。中世には、ほかの隠岐の島々と同じく流人の歴史があります。江戸時代から近年まで、畑を4つに分けて放牧と麦・ヒエ・大豆の栽培を順に回す「牧畑」という農業が続きました。明治になると漁業も盛んになり、スルメやナマコ、アワビは長崎から清国へ送られました。1904年(明治37年)、隠岐に町村制が施行され、知夫郡知夫村が発足しました。古くから一つの島で一つの村の形が続き、今も変わっていません。1969年(昭和44年)4月1日には、隠岐の4つの郡が一つになって隠岐郡に属しました。高度経済成長のころには人口が減り、1977年(昭和52年)には大きな集中豪雨の被害も受けました。平成の大合併のころも合併はせず、今は島根県でただ一つの村です。
年表
- 1904年4月1日明治37年隠岐国に町村制が施行され、知夫里島を区域とする知夫郡知夫村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1969年4月1日昭和44年周吉郡・穏地郡・海士郡・知夫郡の区域をもって隠岐郡が発足し、知夫村は隠岐郡に属した。種類:郡の変更 出典:www.pref.shimane.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。