今の直島町
香川県の北部、高松市の北の瀬戸内海に浮かぶ島の町です。直島と周りの島々からなり、岡山県玉野市の方が本土に近い位置にあります。島の南側は瀬戸内海国立公園に含まれます。宮浦・本村・積浦の三つの集落があり、北部には製錬所があります。安藤忠雄が設計した美術館などを核にした現代美術の島として知られ、ハマチや海苔の養殖も盛んです。
今の直島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,103人です。今の区域で数えた1980年の5,302人とくらべると41.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.9%です。
主な産業:銅などの製錬業と、現代美術を中心とした観光、ハマチや海苔の養殖が中心です。
特産品・名産
- ハマチ島の周りで養殖される
- 海苔島の周りで養殖される
- SOLASHIO(ソラシオ)直島の海水を天日で結晶させた塩
見どころ・祭り
- 地中美術館安藤忠雄設計。建物の多くが地下にある
- ベネッセハウスホテルと美術館を一体にした施設
- 家プロジェクト本村の古い家などを作品にした展示
- 李禹煥美術館安藤忠雄設計の美術館
- 直島つり公園町が設けた海釣りの公園
木クロマツ花ヤマツツジ(島つつじ)直島町の木・花
直島町のなりたち
直島町(なおしまちょう)は、香川県中讃の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに直島村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は香川郡に属していました。
「直島町」という名前
直島の名の由来ははっきりしていません。島の名は、平安時代の末ごろの歌謡集『梁塵秘抄』に「直島」として見えるのが、文献に出る古い例とされています。江戸時代には、男木島・女木島とともに幕府の領地でした。1890年(明治23年)の町村制で直島が一つの村となり、1954年(昭和29年)に町になったときも、島の名がそのまま町の名になりました。
まちの成り立ち
直島は高松市の北、岡山県玉野市に近い瀬戸内海に浮かぶ島です。戦国時代の末には高原次利が八幡山に直島城を築き、本村の町並みはその城下として整えられたと伝わります。江戸時代は幕府の直轄地でした。1890年(明治23年)2月15日、町村制の施行で香川郡直島村が発足し、1954年(昭和29年)4月1日に町制を施行して直島町となりました。村のころから区域は直島とその周りの島々だけで、ほかの市町村と合わさったことはありません。島には宮浦・本村・積浦の集落があり、宮浦は島の玄関口です。大正時代の1917年(大正6年)には三菱の製錬所が置かれ、銅の製錬が島の大きな産業になりました。1980年代の終わりからは、島の南部を文化と教育の場にする構想が進められ、美術館やホテルが整えられました。本村の古い家を使った作品の展示も加わり、現代美術の島として国の内外から人が訪れます。ハマチや海苔の養殖も続けられています。
年表
- 1890年2月15日明治23年町村制の施行により、香川郡の直島が単独で直島村となった。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年香川郡直島村が町制を施行し、直島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。