今の関市
岐阜県の中央部、中濃地方にある市で、岐阜市の東隣に位置します。2005年の合併で美濃市を両側から挟むV字形の市域となり、北西は福井県境、北東は飛騨地方に接します。西側を長良川の支流の板取川・武儀川が、東側を津保川が流れ、南部の平野に市街地、北部に山々が広がります。日本の人口重心が市内にあることでも知られます。古くからの刀鍛冶の伝統を受け継ぐ「刃物のまち」で、長良川の小瀬鵜飼も行われています。
今の関市の区域の人口は、2020年の国勢調査で85,283人です。今の区域で数えた1975年の73,624人とくらべると15.8%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.6%です。
主な産業:刃物の生産が盛んで、世界的な刃物産地として知られています。
特産品・名産
- 関の刃物ゾーリンゲン等と並ぶ「刃物の3S」
- うなぎ関西風に腹開きで焼く名店が多い
- 関からあげひじきと地元の椎茸を使った黒い衣
- 鮎塩焼や鮎雑炊で味わう市の魚
見どころ・祭り
- 小瀬鵜飼5〜10月に長良川で行われる鵜飼
- 刃物まつり10月開催。刃物大廉売市や古式鍛錬
- 関鍛冶伝承館関の刀鍛冶の伝統を伝える施設
- モネの池睡蓮の池が絵画のようだと話題の通称
- 板取街道(アジサイロード)日本の道100選
木杉花きく鳥かわせみ関市の木・花・鳥
関市のなりたち
関市(せきし)は、岐阜県中濃地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、19の町村がありました。吉田村・瀬尻村・倉知村・富岡村・保戸島村・千疋村・田原村・下有知村・富野村・小金田村・富之保村・中之保村・下之保村・東武芸村・南武芸村・板取村・上之保村・洞戸村・関町です。これらの町村が、12回の合併や編入を経て、今の関市になりました。
今の名前「関市」は、1920年にあった関町の名前を受け継いでいます。ほかの18の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は加茂郡・山県郡・武儀郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、山県郡は2003年(平成15年)4月1日に廃止されました、武儀郡は2005年(平成17年)2月7日に廃止されました。
「関市」という名前
市名は、町の前身である武儀郡関村の名を受け継いだものです。「関」は関所を意味し、『日本歴史地名大系』によれば、景行天皇が美濃に行幸した際に守りのための関が置かれた地だという言い伝えが残っています。ただし、いつ・どこにどのような関所があったのかを確かめられる記録は見つかっておらず、言い伝えとして受け止めるのがよいでしょう。関村は1889年(明治22年)の町村制で町制を施行して関町となり、1950年の市制施行で関市となりました。
まちの成り立ち
関市の中心は、刀鍛冶の町として知られた武儀郡関村です。1889年(明治22年)7月1日の町村制で、関村は町制を施行して関町となりました。
関町は大正から昭和にかけて、少しずつ周りの村を取り込んでいきます。1920年(大正9年)に吉田村を編入し、1943年(昭和18年)には瀬尻村と倉知村を編入しました。戦後は郡の境を越えた拡大が続き、1948年に加茂郡田原村の一部(旧稲口村)、1949年に加茂郡富岡村の大部分(大平賀地区は富田村へ)、1950年8月に山県郡千疋村を編入しています。そして1950年(昭和25年)10月15日、加茂郡田原村の残りを編入すると同時に市制を施行し、関市が誕生しました。
市になってからも、1951年に下有知村、1954年に富野村、1955年に小金田村(1950年に山県郡保戸島村を編入していた村)を編入し、1956年には南武芸村の広見地区を加えました。南武芸村の残りは東武芸村と合わさって武芸村となり、1965年に町制を施行して武芸川町となっています。また、富之保村・中之保村・下之保村は1955年に合併して武儀村となり、1971年に武儀町となりました。
2005年(平成17年)2月7日、関市は武儀郡の洞戸村・板取村・武芸川町・武儀町・上之保村の5町村を編入しました。これで武儀郡は消滅し、美濃市を東西から挟むV字形の現在の市域ができあがりました。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行にあたり、武儀郡の関村が町制を施行して関町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、武儀郡に吉田村・瀬尻村・倉知村・下有知村・富野村・小金田村・東武芸村・富之保村・中之保村・下之保村・上之保村・板取村などが、山県郡に千疋村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年加茂郡の西田原村・小迫間村・稲口村・迫間村・大杉村・東田原村が合併して田原村が、市平賀村・鋳物師屋村・肥田瀬村・大平賀村が合併して富岡村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年武儀郡の高野村・八幡村・小知野村・広見村・跡部村が合併して南武芸村が、市場村・通元寺村・片村・菅谷村・下洞戸村・栗原村・飛瀬村・奥洞戸村が合併して洞戸村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年山県郡の千疋村と植野村が合併して新しい千疋村が、山県郡戸田村・側島村と武儀郡小金田村の一部(保明組)、稲葉郡芥見村の一部(島崎)が合併して山県郡保戸島村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1920年8月19日大正9年吉田村が関町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1943年10月1日昭和18年瀬尻村と倉知村が関町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1948年12月10日昭和23年加茂郡田原村の一部(旧稲口村)が関町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1949年10月1日昭和24年加茂郡富岡村が分割され、大平賀地区を除く地区が関町に、大平賀地区が富田村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1950年8月10日昭和25年山県郡千疋村が関町に、山県郡保戸島村が小金田村に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1950年10月15日昭和25年加茂郡田原村が関町に編入され、同日関町が市制を施行して関市となった。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1951年3月20日昭和26年下有知村が関市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1954年9月10日昭和29年富野村が関市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1955年1月10日昭和30年小金田村が関市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年富之保村・中之保村・下之保村が合併し、武儀村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1955年7月10日昭和30年美濃市との境界変更により、関市大字小野の一部(長洞・花之木・奥之田・西曽船など)が美濃市に、美濃市の東志摩が関市に移った。種類:その他 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1956年9月29日昭和31年南武芸村が分割され、広見地区が関市に編入され、残りは東武芸村と合併して武芸村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1965年4月1日昭和40年武芸村が武芸川町と改称し、同時に町制を施行した。種類:町制施行 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1971年4月1日昭和46年武儀村が町制を施行し、武儀町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 2005年2月7日平成17年武儀郡の洞戸村・板取村・武芸川町・武儀町・上之保村が関市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- ja.wikipedia.org/wiki/関市
- www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/204926.pdf
- kotobank.jp/word/%E9%96%A2%E6%9D%91-3021060
- ja.wikipedia.org/wiki/吉田村_(岐阜県武儀郡)
- ja.wikipedia.org/wiki/田原村_(岐阜県)
- ja.wikipedia.org/wiki/富岡村_(岐阜県加茂郡)
- ja.wikipedia.org/wiki/千疋村_(岐阜県)
- ja.wikipedia.org/wiki/小金田村
- ja.wikipedia.org/wiki/保戸島村_(岐阜県)
- ja.wikipedia.org/wiki/富野村_(岐阜県)
- ja.wikipedia.org/wiki/東武芸村
- ja.wikipedia.org/wiki/武芸川町
- ja.wikipedia.org/wiki/武儀町
- ja.wikipedia.org/wiki/洞戸村
- ja.wikipedia.org/wiki/板取村
- ja.wikipedia.org/wiki/上之保村
- ja.wikipedia.org/wiki/南武芸村