今の坂祝町
岐阜県の中南部、加茂郡に属する小さな町で、東の美濃加茂市と西の各務原市に挟まれています。町の南を木曽川が流れ、川沿いを県道とJR高山本線が東西に走ります。町の中央には郷部山の丘陵があり、それを囲むように平地が広がり、西部には城山などの険しい山地が連なります。木曽川の渓谷美は日本ラインとして知られ、飛騨木曽川国定公園に含まれます。かつてはパジェロの工場があり「パジェロの町」と呼ばれました。
今の坂祝町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,071人です。今の区域で数えた1975年の5,636人とくらべると43.2%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.1%です。
主な産業:瓦や入浴剤などの製造業が営まれ、トマトやかぶら等の野菜も作られています。
特産品・名産
- トマト町の名産の野菜
- 鏑(かぶら)町の名産の野菜
- 夢コロンヘチマ水を使った化粧品
- セントポーリア町で生産される花
見どころ・祭り
- 日本ライン(飛騨木曽川国定公園)町の南を流れる木曽川の景勝
- 岩屋観音7月中旬に岩屋観音まつり
- 猿啄城跡城山山頂に展望台。日本ラインを一望
- さかほぎ祭り7月最終土曜。木曽川で花火
木南天花サルビア坂祝町の木・花
坂祝町のなりたち
坂祝町(さかほぎちょう)は、岐阜県中濃地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では坂祝村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は加茂郡に属していました。
「坂祝町」という名前
町名は、地域の古社「坂祝神社」にちなんでいます。この神社の名は、平安時代中期にまとめられた『延喜式神名帳』にも見えます。町の公式サイトによると、1897年(明治30年)4月1日に酒倉・大針・黒岩・深萱・勝山・取組・深田の7か村が合併した際、この神社の名をとって「坂祝村」と名づけました。読み方は「さかほぎ」です。
「酒倉・大針・黒岩・深萱・勝山・取組・深田の7ヶ村が合併した際、この神社名にちなんで坂祝村としました」── 坂祝町「町の概要」
まちの成り立ち
坂祝町の歴史は、1897年(明治30年)4月1日に7つの村が一つになったことから始まります。1889年(明治22年)の町村制では、酒倉・大針・黒岩・深萱・勝山・取組・深田の各村がそれぞれ単独の村として出発しましたが、8年後にこの7か村が新設合併し、古社の名をとった坂祝村が生まれました。
村はその後、大きな合併をしないまま歩みます。1950年(昭和25年)8月10日には、境界変更によって深田の一部(現在の美濃加茂市深田町)が隣の太田町に移りました。太田町は1954年に周辺の町村と合併して美濃加茂市となったため、この地区は現在、美濃加茂市に属しています。
昭和の大合併の時期にも坂祝村は単独で残り、1968年(昭和43年)10月1日に町制を施行して坂祝町となりました。平成の合併期には、2003年に美濃加茂市・加茂郡の市町村で合併協議会が設けられましたが、2004年末に解散し、坂祝町は1897年にできた枠組みを今も保っています。南に木曽川が流れる、面積の小さな町です。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、加茂郡の酒倉村・大針村・黒岩村・深萱村・勝山村・取組村・深田村がそれぞれ単独の村として発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年酒倉村・大針村・黒岩村・深萱村・勝山村・取組村・深田村が合併し、坂祝村が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.sakahogi.gifu.jp
- 1950年8月10日昭和25年太田町との境界変更により、坂祝村大字深田の一部(現在の美濃加茂市深田町)が太田町に移った。種類:その他 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1968年10月1日昭和43年坂祝村が町制を施行し、坂祝町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.gifu.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。