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北方町きたがたちょう

1920年には3の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の北方町になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の北方町

岐阜県の南西部、濃尾平野の北部にある本巣郡唯一の町で、岐阜市・瑞穂市・本巣市に囲まれています。町域はすべて平野で山はなく、天王川・糸貫川・長谷川が南北に流れる、南北に細長い町です。岐阜県内で最も面積が小さく、人口密度が最も高い自治体となっています。町には空海の創建と伝わる円鏡寺があり、戦国時代には西美濃三人衆の一人・安藤守就の北方城が置かれました。

今の北方町の区域の人口は、2020年の国勢調査で18,139人です。今の区域で数えた1975年の12,810人とくらべると41.6%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は24.7%です。

18,139人人口(2020年)
+41.6%1975年からの増減
5.18km²面積(国土地理院)
3,502人/km²人口密度
24.7%65歳以上の割合
18,3951975199020052020
15歳未満 13.8%15〜64歳 61.5%65歳以上 24.7%
今の区域の人口(国勢調査)。1975〜2010年は岐阜県による今の区域への組替集計、2015・2020年は総務省統計局の集計。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

見どころ・祭り

  • 円鏡寺空海創建と伝わる。楼門は国の重要文化財
  • 大井神社円鏡寺の鬼門に牛頭天王を祀り創始
  • 北方城跡安藤守就の居城跡。岐阜県の史跡
  • 北方まつり毎年5月2日・3日に開催
  • お十七夜毎年8月17日の行事

木モチノキ花スイセン鳥カワセミ北方町の木・花・鳥

北方町のなりたち

北方町(きたがたちょう)は、岐阜県岐阜地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。生津村・席田村・北方町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の北方町になりました。

今の名前「北方町」は、1920年にあった北方町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の北方町が約2km²だったのに対し、今の北方町は約5km²と、およそ2.4倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は本巣郡に属していました。

31920年の町村の数
2回合併・編入の回数
5km²今の面積
1955年いちばん新しい合併

「北方町」という名前

町名の由来を直接説明した資料は、確認できませんでした。地名そのものは古く、1456年(康正2年)の足利義政の文書に「美濃国北方郷」の名が見えます。江戸時代の北方村が、1889年(明治22年)の町村制のときに町制を施行して北方町となり、その名が今に続いています。

まちの成り立ち

北方町は、岐阜県内でもっとも面積が小さく、人口密度がもっとも高い町です。明治のはじめ、1878年(明治11年)には本巣郡と席田郡の郡役所が北方村に置かれ、この地域の中心でした。1889年(明治22年)の町村制で北方村は町制を施行し、本巣郡で最初の町・北方町となりました。周りには本巣郡の柱本村・高屋村、席田郡の加茂村・芝原村などが、それぞれ単独の村として生まれています。

1897年(明治30年)4月1日、席田郡は本巣郡などと一緒になって新しい本巣郡となり、同じ日に柱本村・高屋村は生津村・馬場村と合併して生津村に、加茂村・芝原村は席田郡の他の村と合併して席田村になりました。

昭和の大合併では、北方町そのものは大きな合併をせず、隣の村の一部を迎え入れる形をとりました。生津村は南北で結びつきが分かれ、1954年(昭和29年)11月3日に南部(旧生津村・旧馬場村)が穂積町の発足に加わり、残った北部の柱本・高屋の両地区が1955年4月1日に北方町と新設合併し、改めて北方町が発足しました。席田村も、加茂地区が北方町との合併を強く望んだため周辺村との合併協議から離れ、1956年(昭和31年)9月30日、加茂・芝原の両地区が北方町に、残りが糸貫村に編入されて分かれました。

平成の合併期には、2002年に穂積町・巣南町との合併協議に加わったものの途中で離脱し、2003年の岐阜広域の合併協議も実を結ばず、北方町は単独の町として続いています。

年表

  1. 1889年7月1日明治22年町村制の施行にあたり、本巣郡の北方村が町制を施行して北方町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  2. 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、本巣郡に柱本村・高屋村、席田郡に加茂村・芝原村などがそれぞれ単独の村として発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1897年4月1日明治30年郡制の施行に伴い席田郡が廃止され、加茂村・芝原村などは新しく発足した本巣郡に属することになった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1897年4月1日明治30年生津村・馬場村・柱本村・高屋村が合併して生津村が、上保村・郡府村・北野村・春近村・石原村・三橋村・仏生寺村・芝原村・加茂村が合併して席田村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1954年11月3日昭和29年生津村が分割され、南部(旧生津村・旧馬場村)が穂積町・牛牧村・本田村と合併して穂積町となった。種類:分割 出典:www.pref.gifu.lg.jp
  6. 1955年4月1日昭和30年北方町と生津村の残り(大字柱本・高屋)が合併し、改めて北方町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gifu.lg.jp
  7. 1956年9月30日昭和31年席田村が分割され、大字芝原・加茂が北方町に、残り(上保・郡府など)が糸貫村に編入された。種類:分割 出典:www.pref.gifu.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

北方町1889〜今
席田村1897〜1956
生津村1889〜1955

参考にした資料