今の垂井町
岐阜県西部、不破郡にある町で、大垣市と関ケ原町の間に位置します。北西に池田山、南に南宮山などの山々が連なり、そのあいだを流れる相川と支流がつくった扇状地が町の中央から東へ広がっています。古代には美濃国の国府や一宮が置かれた美濃の中心地で、中世以降は中山道の宿場町、南宮大社の門前町としてにぎわいました。地名の由来となった垂井の泉が今も湧き、1960年代以降は工場の進出とともに住宅地が広がりました。
今の垂井町の区域の人口は、2020年の国勢調査で26,402人です。今の区域で数えた1975年の24,794人とくらべると6.5%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.4%です。
主な産業:ガラス、繊維、機械、建材などの大手企業の工場が立地しています。
特産品・名産
- はちみつ養蜂会社の本社が町内にある
見どころ・祭り
- 南宮大社美濃国一宮。鉄の神様として知られる
- 垂井の泉地名の由来。岐阜県の名水50選
- 垂井曳山祭り5月2〜4日。曳山は県重要有形民俗文化財
- 美濃国府跡国の史跡
- 中山道垂井宿美濃路との分岐点にあった宿場
木けやき花つばき垂井町の木・花
垂井町のなりたち
垂井町(たるいちょう)は、岐阜県西濃地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。府中村・岩手村・宮代村・表佐村・荒崎村・合原村・垂井町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の垂井町になりました。
今の名前「垂井町」は、1920年にあった垂井町の名前を受け継いでいます。ほかの6の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の垂井町が約4km²だったのに対し、今の垂井町は約57km²と、およそ14.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は不破郡に属していました。
「垂井町」という名前
町名の「垂井」は、町内にわく「垂井の泉」に由来するとされます。この泉は古くから歌枕として「たるいの水」と詠まれてきました。江戸時代には中山道の垂井宿が置かれ、1889年(明治22年)の町村制で垂井村が町制を施行して垂井町となって以来、この名が続いています。
まちの成り立ち
垂井町は、古代に美濃国府が置かれ、美濃国一宮の南宮大社がある歴史の深い土地です。明治のはじめには不破郡の郡役所も垂井に置かれました。1889年(明治22年)7月1日の町村制で垂井村が町制を施行して垂井町となり、周りには宮代村・表佐村などが生まれました。1897年(明治30年)4月1日には、府中村など7村が合併して府中村が、岩手村・大石村と相川村の伊吹地区が合併して岩手村が、綾戸村など4村が合併して荒崎村が、栗原村と室原村が合併して合原村が発足しています。
大きな転機は1954年(昭和29年)です。9月10日、垂井町・宮代村・表佐村・府中村と、岩手村(大高地区を除く)、荒崎村の綾戸地区が新設合併し、改めて垂井町が発足しました。岩手村の大高地区はその9日前に関ケ原町の発足に加わり、荒崎村の残りは10月1日に大垣市に編入されています。
合原村も二つに分かれました。当初は垂井町との合併が決まっていましたが、養老郡とのつながりが深い室原地区の住民が反発し、室原地区は11月3日に養老町の発足に加わりました。残る栗原地区は12月1日に垂井町に編入されました。こうして、周りの村々の一部を集める形で現在の町域ができあがっています。
平成の合併期には、大垣市を中心とする西濃圏域の合併協議に加わりましたが、2004年(平成16年)10月31日の住民投票の結果を受けて、関ケ原町・神戸町とともに協議から離れました。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行にあたり、不破郡の垂井村が町制を施行して垂井町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、不破郡に宮代村・表佐村などが発足し、伊吹村と野上村が合併して相川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年府中村・平尾村・梅谷村・敷原村・市之尾村・大滝村・新井村が合併して府中村が、綾戸村・長松村・十六村・島村が合併して荒崎村が、栗原村と室原村が合併して合原村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年相川村が分割され、伊吹地区は岩手村・大石村と合併して岩手村に、野上地区は関ケ原村などと合併して関原村になった。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1954年9月1日昭和29年岩手村の大高地区が分かれ、関ケ原町・玉村・今須村と合併して関ケ原町の一部となった。種類:分割 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1954年9月10日昭和29年垂井町・宮代村・表佐村・府中村・岩手村(大高地区を除く)と荒崎村の大字綾戸が合併し、改めて垂井町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1954年10月1日昭和29年荒崎村の残り(綾戸を除く地区)が大垣市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1954年11月3日昭和29年合原村が分かれ、大字室原が高田町・養老村などと合併して養老町の一部となった。種類:分割 出典:www.pref.gifu.lg.jp
- 1954年12月1日昭和29年合原村の残り(大字栗原)が垂井町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gifu.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。