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関ケ原町せきがはらちょう

1920年には3の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の関ケ原町になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の関ケ原町

岐阜県の西の端、滋賀県と接する町で、北に伊吹山地、南に鈴鹿山脈がせまる谷あいにあります。相川や藤古川などの川が流れ、町土の大半を山林が占めます。古代に不破関が置かれて以来、近畿と東国を結ぶ交通の要衝で、江戸時代は中山道が通り、今も名神高速道路や東海道新幹線が町を貫きます。壬申の乱と関ケ原の戦いという二度の大きな戦いの舞台となった地で、各武将の陣跡をめぐる歴史散策が楽しめます。

今の関ケ原町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,610人です。今の区域で数えた1975年の10,718人とくらべると38.3%減り、人口は1975年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.1%です。

6,610人人口(2020年)
−38.3%1975年からの増減
49.28km²面積(国土地理院)
134人/km²人口密度
40.1%65歳以上の割合
10,7181975199020052020
15歳未満 8.9%15〜64歳 51.0%65歳以上 40.1%
今の区域の人口(国勢調査)。1975〜2010年は岐阜県による今の区域への組替集計、2015・2020年は総務省統計局の集計。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

見どころ・祭り

  • 関ヶ原古戦場跡1600年の関ケ原の戦いの舞台
  • 笹尾山石田三成が陣を構えた山
  • 岐阜関ケ原古戦場記念館関ケ原の戦いを紹介する記念館
  • 不破関跡古代三関のひとつ不破関の跡
  • 中山道関ヶ原宿・今須宿町内にあった中山道の二つの宿場

木すぎ花うめ関ケ原町の木・花

関ケ原町のなりたち

関ケ原町(せきがはらちょう)は、岐阜県西濃地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。玉村・今須村・関原村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の関ケ原町になりました。

今の名前「関ケ原町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の関原村が約19km²だったのに対し、今の関ケ原町は約49km²と、およそ2.6倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は不破郡に属していました。

31920年の町村の数
2回合併・編入の回数
49km²今の面積
1954年いちばん新しい合併

「関ケ原町」という名前

関ケ原は、古代に東山道の三関の一つ「不破関」が置かれた土地として知られます。「関」の字はこの関所にちなむと考えるのが自然ですが、地名の由来をはっきり記した資料は確認できませんでした。町名としては、1889年(明治22年)に生まれた不破郡関ケ原村に始まり、1897年の合併で一時「関原村」となったのち、1928年(昭和3年)の町制施行で「関ケ原町」となりました。正式な表記は、小さい「ヶ」ではなく大きい「ケ」を使います。

まちの成り立ち

関ケ原町は岐阜県の西の端、伊吹山地と鈴鹿山脈にはさまれ、滋賀県と接する町です。古くから近畿と東国を結ぶ交通の要所で、壬申の乱や関ヶ原の戦いの舞台にもなりました。

1889年(明治22年)7月1日の町村制で、不破郡に関ケ原村・玉村・今須村などが生まれました。伊吹村と野上村が合わさって相川村もできましたが、この村は1897年(明治30年)4月1日に二つに分かれます。野上地区は関ケ原村・松尾村・藤下村・山中村と合併して関原村に、伊吹地区は岩手村・大石村と合併して新しい岩手村になりました。

関原村は1928年(昭和3年)4月1日に町制を施行し、名前を関ケ原町に改めました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)9月1日に関ケ原町・玉村・今須村と、岩手村の一部である大高地区が合併し、改めて関ケ原町が発足しました。岩手村の残りは、9日後の9月10日に垂井町などと合併しています。こうして、旧岩手村は二つの町に分かれることになりました。

今も町内には玉・今須・大高といった旧村の名が地区名として残ります。西の端の今須地区は、電気の供給が関西電力送配電のエリアに入るなど、滋賀県側とのつながりも見られます。

平成の合併期には、西濃圏域の合併協議に加わりましたが、2004年(平成16年)の住民投票を受けて協議から離れ、単独の町として続いています。

年表

  1. 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、不破郡に関ケ原村・玉村・今須村・松尾村・藤下村・山中村などが発足し、伊吹村と野上村が合併して相川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1897年4月1日明治30年相川村が分割され、野上地区は関ケ原村・松尾村・藤下村・山中村と合併して関原村に、伊吹地区は岩手村・大石村と合併して岩手村になった。種類:分割 出典:Wikipedia
  3. 1897年4月1日明治30年関ケ原村・松尾村・藤下村・山中村と相川村の野上地区が合併し、関原村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  4. 1928年4月1日昭和3年関原村が町制を施行し、改称して関ケ原町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1954年9月1日昭和29年関ケ原町・玉村・今須村と岩手村の一部(大高)が合併し、改めて関ケ原町が発足した(岩手村の残りは9月10日に垂井町などと合併)。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

関原村→関ケ原町1897〜今
玉村1889〜1954
今須村1889〜1954

参考にした資料