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刈谷市かりやし

1920年には3の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の刈谷市になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の刈谷市

愛知県の中南部、旧三河国の西端にあり、三河国と尾張国の国境だった境川が市の西端を流れます。市域は南北に細長く、逢妻川・猿渡川が東西に流れて、小さな沖積平野をつくっています。ほとんどは洪積台地で、工場や住宅地が広がり、自動車関連の大企業が集まる、愛知県内でも指折りの工業のまちです。刈谷城の跡は亀城公園として整備されています。北部の小堤西池のカキツバタ群落は国の天然記念物です。

今の刈谷市の区域の人口は、2020年の国勢調査で153,834人です。今の区域で数えた1980年の105,643人とくらべると45.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は20.9%です。

153,834人人口(2020年)
+45.6%1980年からの増減
50.39km²面積(国土地理院)
3,053人/km²人口密度
20.9%65歳以上の割合
153,8341980199020052020
15歳未満 14.1%15〜64歳 65.0%65歳以上 20.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:自動車関連の大企業が集まる工業都市。

特産品・名産

  • 芋川うどんきしめんの起源を刈谷の芋川うどんとする説がある
  • 切り干し大根名産・特産として挙がる

見どころ・祭り

  • 亀城公園刈谷城跡の公園。桜の名所
  • 小堤西池のカキツバタ群落国の天然記念物。日本三大カキツバタ自生地の一つとされる
  • 万燈祭秋葉神社の雨乞いの祭り。毎年7月最終土日、愛知県指定無形民俗文化財
  • 刈谷市郷土資料館旧亀城小学校本館。国の登録有形文化財
  • 依佐美送信所記念館旧依佐美送信所の送信機器10件が近代化産業遺産に認定

木クスノキ花カキツバタ刈谷市の木・花

刈谷市のなりたち

刈谷市(かりやし)は、愛知県西三河地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。富士松村・依佐美村・刈谷町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の刈谷市になりました。

今の名前「刈谷市」は、1920年にあった刈谷町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の刈谷町が約15km²だったのに対し、今の刈谷市は約50km²と、およそ3.4倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は碧海郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、碧海郡は1970年(昭和45年)12月1日に廃止されました。

31920年の町村の数
2回合併・編入の回数
50km²今の面積
1955年いちばん新しい合併

「刈谷市」という名前

「かりや」という地名が文献に初めて現れるのは、1409年(応永16年)の『熊野檀那職譲状写』に見える「借屋郷」とされます。一般には1533年(天文2年)の刈谷城の築城が地名の始まりといわれてきましたが、1522年(大永2年)の『宗長日記』にはすでに「苅屋」の字が見え、名は築城より古いと考えられます。戦国時代の文書には「雁屋」「苅屋」などとも書かれ、もとは「谷」ではなく「屋」の字でした。ほかに、877年に出雲から移り住んだ狩谷出雲守の名にちなむという言い伝えもあります。

まちの成り立ち

戦国時代の刈谷は水野氏の本拠で、徳川家康の生母・於大の方は刈谷城主の娘でした。江戸時代には刈谷藩の城下町となり、明治から大正にかけては繭や蚕種紙の取引で栄えます。1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で碧海郡刈谷町が発足し、周りには元刈谷村・小垣江村・境村などの村が生まれました。1906年(明治39年)5月1日、刈谷町は重原村・小山村・逢妻村・元刈谷村と合併して改めて刈谷町となり、同じ日に北部では境村・東境村・一ツ木村・逢見村が合併して富士松村が、南部では小垣江村・野田村・半高村・高棚村などが合併して依佐美村が生まれました。1950年(昭和25年)4月1日に刈谷町が市制を施行して刈谷市となり、1955年(昭和30年)4月1日に富士松村と、依佐美村のうち野田・半城土・高須・小垣江を編入しました(依佐美村の残りは安城市へ)。これで南北約13kmの細長い今の市域ができあがります。その後は自動車関連の大企業が集まる工業都市として発展し、平成の大合併では合併していません。

年表

  1. 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、碧海郡に刈谷町(刈谷村が単独で町制)と下重原村・元刈谷村・小垣江村・野田村・小山村・逢妻村・境村・逢見村・一ツ木村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1891年9月14日明治24年碧海郡境村の一部(東境)が分かれて東境村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  3. 1891年11月28日明治24年碧海郡下重原村が分割され、半城土・高須の区域に半高村、下重原の区域に重原村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  4. 1906年5月1日明治39年碧海郡の刈谷町・重原村・小山村・逢妻村・元刈谷村が合併して改めて刈谷町が、境村・東境村・一ツ木村・逢見村が合併して富士松村が、高棚村・小垣江村・野田村・半高村と長崎村の一部が合併して依佐美村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1950年4月1日昭和25年刈谷町が市制を施行し、刈谷市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
  6. 1955年4月1日昭和30年碧海郡富士松村と依佐美村の大部分(野田・半城土・高須・小垣江)が刈谷市に編入された(依佐美村の残部は安城市へ)。種類:編入 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

刈谷町→刈谷市1889〜今
富士松村1906〜1955
依佐美村1906〜1955

参考にした資料