今の東浦町
愛知県の南西部、知多半島の東部にある町で、西部は緩やかな丘陵地、東部は衣浦湾に面した低地です。町内の最高点は西部の高根山公園付近(標高73.8m)です。北は大府市、東は衣浦湾をはさんで刈谷市・高浜市に接し、1970年代以降の住宅団地の開発で人口が増えました。徳川家康の生母・於大の方の生家、水野氏の居城があった地で、於大公園や於大まつりが知られます。
今の東浦町の区域の人口は、2020年の国勢調査で49,596人です。今の区域で数えた1980年の36,035人とくらべると37.6%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は26.1%です。
主な産業:工場の立地と住宅地。農業ではブドウ、洋ランなど。
特産品・名産
- 東浦ブドウ1960年ごろから栽培が始まり、「東浦ブドウ」のブランドで知られる
- 洋ラン愛知県は洋ランの全国一の産地で、町でも栽培
- 知多木綿産業の項に名前が挙がる
見どころ・祭り
- 於大公園於大の方にちなむ公園
- 於大まつり毎年4月、於大行列や水野家行列が行われる
- 入海貝塚国の史跡。入海神社の境内にある縄文時代早期の貝塚
- 乾坤院水野家4代の墓所がある曹洞宗の寺。弁財天像は県指定文化財
- おまんと祭り森岡の村木神社のおまんと祭りは町指定文化財
木クスノキ花ウノハナ東浦町の木・花
東浦町のなりたち
東浦町(ひがしうらちょう)は、愛知県尾張地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では東浦村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は知多郡に属していました。
「東浦町」という名前
「東浦」の名は、1906年(明治39年)に緒川・石浜・生路・藤江の4村と森岡村の一部が合併したときに新しく付けられたもので、旧村のどの名も使っていません。町は知多半島の東側で衣浦湾に面していますが、名付けの経緯を記した資料は見つかっておらず、由来ははっきりしません。
まちの成り立ち
町内の入海貝塚からは約7000年前の暮らしの跡が見つかっていて、戦国時代には徳川家康の生母・於大の方の生家である水野氏の居城・緒川城がありました。1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、知多郡に森岡村・緒川村・藤江村・生路村・石浜村が生まれます。生路村と石浜村は1891年(明治24年)にいったん合併して生浜村となりましたが、翌1892年に再び分かれました。1906年(明治39年)5月1日、緒川村・石浜村・生路村・藤江村と森岡村のうち村木が合併して東浦村が発足し、今の町域ができあがります(森岡村の猪伏は大府村へ)。1948年(昭和23年)6月1日に町制を施行して東浦町となりました。1970年代からは住宅団地の開発で人口が増え、2010年の国勢調査で人口5万人を超えたとして市制施行を目指しましたが、総務省の再調査で5万人に届かず断念しました。その後、国勢調査の人口の水増しが発覚して前副町長が統計法違反で起訴され、2015年の調査でも5万人を下回ったため、市への移行は見送られています。昭和・平成の大合併では合併していません。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、知多郡に森岡村・緒川村・藤江村・生路村・石浜村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年4月1日明治24年知多郡の生路村と石浜村が合併し、生浜村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1892年5月31日明治25年知多郡生浜村が分割され、生路村と石浜村が改めて発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年知多郡の緒川村・石浜村・生路村・藤江村と森岡村の一部(村木)が合併し、東浦村が発足した(森岡村の猪伏は大府村へ)。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1948年6月1日昭和23年東浦村が町制を施行し、東浦町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。