今の知多市
愛知県の知多半島の北西部、伊勢湾に面するまちです。市域の大半は標高20〜70メートルの丘陵で、丘陵を刻む谷や海岸沿いに集落や市街地があります。愛知用水の調整池である佐布里池のまわりは梅の名所として知られ、沿岸部には火力発電所や製油所が並びます。
今の知多市の区域の人口は、2020年の国勢調査で84,364人です。今の区域で数えた1980年の64,831人とくらべると30.1%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.1%です。
主な産業:臨海部の火力発電所・製油所などの工業、愛知用水を生かした農業(フキ・ペコロスなど)
特産品・名産
- 知多木綿名産品として挙げられる
見どころ・祭り
- 佐布里池・佐布里緑と花のふれあい公園愛知用水の調整池。2〜3月に梅まつり
- 大智院知多四国霊場71番。『めがね弘法』で知られる
- 大興寺『知多のだるま寺』。秋は四季桜・コスモス
- 法海寺日本三薬師の一つとされる
- 新舞子マリンパーク臨海の観光スポット
木ヤマモモ花ツツジ、ウメ知多市の木・花
知多市のなりたち
知多市(ちたし)は、愛知県尾張地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。旭村・八幡村・岡田町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の知多市になりました。
今の名前「知多市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の八幡村が約23km²だったのに対し、今の知多市は約45km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は知多郡に属していました。
「知多市」という名前
市名の「知多」は、この地域が律令制の時代から知多郡に属していたことによります。1955年(昭和30年)に八幡町・岡田町・旭町が合併したとき、どの旧町の名でもなく郡名を取って「知多町」とし、1970年の市制施行でそのまま知多市となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制の施行で、今の市域には知多郡の岡田村・日長村・金沢村・八幡村・新知村・佐布里村が生まれました。岡田村は1903年(明治36年)に町制を施行して岡田町となり、1906年(明治39年)には日長村と金沢村が合併して旭村、八幡村・新知村・佐布里村が合併して新しい八幡村ができます。八幡村は1922年(大正11年)に、旭村は1952年(昭和27年)に、それぞれ町制を施行しました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に八幡町・岡田町・旭町の3町が合併して知多町が発足します。知多町は1970年(昭和45年)9月1日に市制を施行して知多市となり、知多郡を離れました。今も市内には八幡・新知・佐布里・岡田・日長・大興寺などの旧村の名が地名として残っています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、知多郡に岡田村・日長村・金沢村・八幡村・新知村・佐布里村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1903年5月6日明治36年知多郡岡田村が町制を施行し、岡田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年知多郡日長村・金沢村が合併して旭村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年知多郡八幡村・新知村・佐布里村が合併して改めて八幡村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1922年4月1日大正11年知多郡八幡村が町制を施行し、八幡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年知多郡旭村が町制を施行し、旭町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年知多郡八幡町・岡田町・旭町が合併して知多町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1970年9月1日昭和45年知多郡知多町が市制を施行し、知多市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。