今の阿久比町
知多半島の付け根近くにあり、伊勢湾にも三河湾にも面さず、丘陵とその間の小さな盆地からなるまちです。北の東浦町から南の半田市へ阿久比川が流れ、それに沿って名鉄河和線と県道55号が南北を結びます。川沿いには田園風景が広がる一方、名古屋市中心部まで30分ほどの近さから住宅地も広がっています。1983年からホタルを守る取り組みを町ぐるみで続けています。
今の阿久比町の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,383人です。今の区域で数えた1980年の20,880人とくらべると35.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.7%です。
主な産業:阿久比川沿いの田園と、名古屋への通勤圏としての住宅地
特産品・名産
- ヘイケボタル町を象徴する生き物。自然繁殖のほか、ふれあいの森に養殖場がある
見どころ・祭り
- 花かつみ園町北西部の下芳池に自生したノハナショウブを「花かつみ」として育てる公園
- ふれあいの森広場・デイキャンプ場などがある複合レジャー施設
- 萩の祭礼大山祇神社の祭礼。毎年4月の第2日曜日とその前日に行われる
- 坂部城跡(城山公園)久松氏の居城跡で町指定文化財
- 権現山・矢勝川町南部の植大地区一帯は新美南吉の作品の舞台としてたびたび登場する
木モチノキ花ウメ阿久比町の木・花
阿久比町のなりたち
阿久比町(あぐいちょう)は、愛知県尾張地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では阿久比村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は知多郡に属していました。
「阿久比町」という名前
「あぐい」は飛鳥時代から確かめられる古い地名です。藤原宮跡から出土した694年(甲午年)の木簡に「知多評阿具比里」と記され、8世紀前半からは好字二字令によって「英比」の二字で「あぐい」と読ませるようになったらしく、平城京出土の木簡にも「英比郷」の名が見えます。その後は「阿古屋」「安古居」などさまざまな字が当てられ、明治の村の合併の際に「阿久比」の字が定着したとされます。語源そのものは資料から確認できませんでした。
まちの成り立ち
江戸時代、今の町域には横松・萩・宮津・板山など16の村があり、「英比谷(阿久比谷)16か村」と呼ばれていました。1878年(明治11年)にこの16か村が合併して阿久比村となりましたが、1884年(明治17年)には多くの村が再び分かれました。1889年(明治22年)10月1日の町村制施行では、阿久比村・上阿久比村・東阿久比村の3村が発足し、1906年(明治39年)5月1日にこの3村が合併して、改めて阿久比村となりました。その後、人口の増加を背景に1953年(昭和28年)1月1日に町制を施行し、阿久比町となりました。昭和・平成の大合併ではほかの市町と合併していません。平成の合併期には南の半田市との合併を推す声もありましたが、2004年(平成16年)12月26日に行われた半田市との合併協議会設置の是非を問う住民投票で反対が多数となり、協議会は設けられませんでした。今の大字阿久比は、江戸時代の稗之宮村を前身とするとされます。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、知多郡に阿久比村(阿久比・椋岡・矢高・植大の各村が合併)・上阿久比村(卯坂・草木・白沢の各村が合併)・東阿久比村(宮津・板山・福住・萩・横松の各村が合併)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年知多郡の阿久比村・上阿久比村・東阿久比村が合併し、改めて阿久比村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1953年1月1日昭和28年知多郡阿久比村が町制を施行し、阿久比町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。