今の半田市
知多半島東海岸の中部にあり、東は衣浦湾に面し、西は知多丘陵で常滑市と接します。市の中央を阿久比川・十ヶ川が流れ、河口付近に市役所などの中心部があります。江戸時代から醸造業で栄えた港のまちで、いまは鉄鋼や自動車関連の工場も立地します。知多地域の政治・経済・文化の中心で、知多型の山車まつりでも知られます。
今の半田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で117,884人です。今の区域で数えた1980年の89,328人とくらべると32.0%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は24.6%です。
主な産業:醸造業(酢・酒など)、鉄鋼・自動車関連
特産品・名産
- 生せんべい知多の銘菓として名産品に挙げられる
- 酢(ミツカン)江戸中期に酒粕を使った酢づくりが始まった。ミツカングループの本社がある
- 復刻カブトビール明治の地ビール「カブトビール」を復刻したもの
見どころ・祭り
- 半田赤レンガ建物旧カブトビールの醸造工場。国の登録有形文化財
- 亀崎潮干祭5月3・4日。神前神社前の浜に山車5台を曳き下ろす。「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録
- はんだ山車まつり5年に一度、市内31台の山車が一堂にそろう
- MIZKAN MUSEUM半田運河沿いにある酢の総合博物館
- 新美南吉記念館『ごん狐』の作者・新美南吉の記念館。周辺には彼岸花が咲く
木クロマツ花サツキ半田市の木・花
半田市のなりたち
半田市(はんだし)は、愛知県尾張地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。亀崎町・成岩町・半田町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の半田市になりました。
今の名前「半田市」は、1920年にあった半田町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の半田町が約11km²だったのに対し、今の半田市は約47km²と、およそ4.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は知多郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧亀崎町の区域には亀崎駅(武豊線)があります。
「半田市」という名前
「半田」という地名の由来は、確認できた資料には書かれておらず、わかりませんでした。市名は、1937年に半田町・亀崎町・成岩町の3町が合併して市をつくった際に、半田町の名を用いたものです。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、今の市域には知多郡の半田町・亀崎町・乙川村・有脇村・成岩村が発足しました。成岩村は翌1890年(明治23年)12月17日に町制を施行して成岩町となり、1906年(明治39年)5月1日には亀崎町・有脇村・乙川村が合併して改めて亀崎町となりました。こうしてそろった半田町・亀崎町・成岩町の3町が1937年(昭和12年)10月1日に合併し、愛知県で6番目、知多半島では最初の市として半田市が生まれました。発足時の人口は5万477人です。その後、昭和・平成の大合併を通じてほかの市町との合併はなく、市域は1937年の形を保っています。江戸時代中期から酒・酢・味噌などの醸造業とともに港町として発展し、明治以降は知多半島の行政の中心となりました。旧町の名は今も地名として残り、亀崎では神前神社前の浜に山車を曳き下ろす亀崎潮干祭が受け継がれています。また1958年(昭和33年)には市議会が核非武装の宣言に関する決議を行い、日本で初めて非核を宣言した市となりました。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、知多郡に半田町・亀崎町・乙川村・有脇村・成岩村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年12月17日明治23年知多郡成岩村が町制を施行し、成岩町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年知多郡の亀崎町・有脇村・乙川村が合併し、改めて亀崎町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1937年10月1日昭和12年知多郡の半田町・亀崎町・成岩町が合併して半田市が発足し、知多郡を離れた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。