今の武豊町
知多半島の中央部にあり、三河湾北西部の衣浦湾に面するまちです。重要港湾である衣浦港の一部(武豊港)を抱え、沿岸には工業地帯が広がります。知多四国霊場の札所となる寺院がいくつもあり、旧国鉄武豊港駅の転車台が登録有形文化財として残る、鉄道と港の歴史を持つまちです。町名は二つの村の氏神の名に由来します。
今の武豊町の区域の人口は、2020年の国勢調査で43,535人です。今の区域で数えた1980年の33,924人とくらべると28.3%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.3%です。
主な産業:衣浦港沿岸の工業地帯
見どころ・祭り
- 旧国鉄武豊港駅転車台登録有形文化財
- 中定商店(大五蔵ほか)登録有形文化財の酒蔵
- 三井家住宅主屋・表門などが登録有形文化財
- 円観寺知多四国霊場の第二十五番札所
- 大日寺・蓮花院・徳正寺知多四国霊場の第二十二・二十三・二十四番札所
木クスノキ花サザンカ武豊町の木・花
武豊町のなりたち
武豊町(たけとよちょう)は、愛知県尾張地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。富貴村・武豊町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の武豊町になりました。
今の名前「武豊町」は、1920年にあった武豊町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の武豊町が約16km²だったのに対し、今の武豊町は約26km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は知多郡に属していました。
「武豊町」という名前
町名は、二つの村の氏神から一字ずつ取った合成地名です。1878年(明治11年)に長尾村と大足村が合併して武豊村ができた際、長尾村の氏神である武雄神社の「武」と、大足村の氏神である豊石神社の「豊」を合わせて名付けられました。1954年に富貴村と合併して改めて武豊町が発足したときも、この名が受け継がれています。
まちの成り立ち
1878年(明治11年)、長尾村と大足村が合併して武豊村が生まれました。1889年(明治22年)10月1日の町村制施行では、この武豊村と、富貴村・東大高村が合併した富貴村が発足しています。武豊村は1891年(明治24年)2月17日に町制を施行して武豊町となりました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)10月5日に武豊町と富貴村が新設合併し、改めて武豊町が発足して今の町域ができました。それ以降、ほかの市町との合併はありません。1954年までの旧武豊町の区域には大字が設けられておらず、今も「武豊町」のあとに字名と番地を続けて住所を書きます。旧富貴村の名は、大字富貴・東大高や、富貴小学校・富貴中学校などに残っています。町内には衣浦港の一部である武豊港があり、旧国鉄武豊港駅の転車台が登録有形文化財として残るなど、鉄道と港の歴史を伝えています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、知多郡に武豊村と富貴村(富貴村・東大高村が合併)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年2月17日明治24年知多郡武豊村が町制を施行し、武豊町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年10月5日昭和29年知多郡の武豊町・富貴村が合併し、改めて武豊町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。