今の東海市
知多半島の西北端にあり、伊勢湾に臨むまちです。古くは典型的な漁村で、海老せんべいを尾張藩主に献上していたと伝わります。今は名古屋南部臨海工業地帯の一角で、日本製鉄名古屋製鉄所や大同特殊鋼の工場、愛知製鋼の本社などが集まる「鉄鋼のまち」です。農業ではフキの生産が全国一とされます。
今の東海市の区域の人口は、2020年の国勢調査で113,787人です。今の区域で数えた1980年の96,048人とくらべると18.5%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.5%です。
主な産業:鉄鋼業、フキ・洋ランの栽培
特産品・名産
- 海老煎餅坂角総本舗が本店を置く『ゆかり』が有名
- フキ出荷量は日本一とされる
- 洋ラン出荷量は県内2位とされる
見どころ・祭り
- 聚楽園公園・聚楽園大仏大仏のある公園。市の観光スポット
- 大池公園市内の公園
- 木田城址池田輝政が最初に城主となった城
- 観福寺名所・旧跡として挙げられる寺院
- 横須賀御殿名所・旧跡として挙げられる
木クスノキ、キョウチクトウ(準市の木)花サツキ、洋ラン東海市の木・花
東海市のなりたち
東海市(とうかいし)は、愛知県尾張地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。上野村・横須賀町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の東海市になりました。
今の名前「東海市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の上野村が約26km²だったのに対し、今の東海市は約43km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は知多郡に属していました。
「東海市」という名前
市名は公募で決まりました。合併する上野町・横須賀町の名をそのまま使うと、三重県の上野市(今の伊賀市)や神奈川県の横須賀市と同じ名前になってしまうためです。5,125通の応募から合併協議会の委員の投票で5つに絞り、愛知県知事の審査を経て「東海市」に決まりました。東海地方を代表するようなスケールの大きい名であること、全国的に知名度が高いこと、中部圏の中心都市にふさわしいことが理由とされています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制の施行で、今の市域には知多郡の横須賀町と、名和村・荒尾村・大田村・富木島村・加木屋村・高横須賀村・養父村が生まれました。1906年(明治39年)5月1日には、横須賀町が大田村・加木屋村・高横須賀村・養父村と合併して新しい横須賀町となり、名和村・荒尾村・富木島村は合併して上野村となります。上野村は1940年(昭和15年)に町制を施行しました。昭和の大合併の時期、上野町は1954年に周りとの合併を検討しましたが現状維持とし、横須賀町が1955年から目指した上野町・横須賀町・知多町の3町合併も盛り上がりませんでした。転機は1958年に3町で始めた工場誘致で、上野町と横須賀町の沖の埋立地に東海製鐵(現在の日本製鉄)が進出し、人口が急に増えます。埋立地の境界をめぐって2町の主張が食い違い、県知事に裁定を求めたところ合併による解決を勧められ、1968年に合併協議会が設けられました。こうして1969年(昭和44年)4月1日、上野町と横須賀町が合併して東海市が発足しました。今も旧上野町と旧横須賀町では郵便番号の上3桁や市外局番が異なり、名和・荒尾・富木島・大田・加木屋・養父などの旧村の名は町名として残っています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、知多郡に横須賀町・名和村・荒尾村・大田村・富木島村・加木屋村・高横須賀村・養父村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年知多郡横須賀町・大田村・加木屋村・高横須賀村・養父村が合併して改めて横須賀町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年知多郡名和村・荒尾村・富木島村が合併して上野村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1940年2月11日昭和15年知多郡上野村が町制を施行し、上野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1969年4月1日昭和44年知多郡上野町・横須賀町が合併して東海市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。