今の岡崎市
愛知県の中央部、美濃三河高原と岡崎平野が接するところにあるまちです。矢作川が南北に流れ、東西に流れる乙川など市内の20本ほどの川はすべてその支流です。東部は本宮山(789m)などの山地で、中心部には徳川家康が生まれた岡崎城があります。城下町・東海道の宿場町として栄え、八丁味噌の発祥地としても知られます。今は名古屋圏のベッドタウンでもあり、自動車関連の工場も集まります。
今の岡崎市の区域の人口は、2020年の国勢調査で384,654人です。今の区域で数えた1980年の271,243人とくらべると41.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.7%です。
主な産業:八丁味噌・花火・石製品などの伝統地場産業、自動車関連工場
特産品・名産
- 八丁味噌岡崎の伝統地場産業として知られる味噌
- どて煮名品・郷土料理として挙げられる
- あわ雪名品として挙げられる菓子
見どころ・祭り
- 岡崎城徳川家康が生まれた城。市指定史跡で、復興天守が建つ
- 家康行列4月の第1または第2日曜日に行われる
- 岡崎観光夏まつり花火大会8月の第1土曜日
- 滝山寺鬼まつり旧暦1月7日に近い土曜日の行事
- 北野廃寺跡国の史跡
木ミカワクロマツ花フジ、サクラ鳥ハクセキレイ岡崎市の木・花・鳥
岡崎市のなりたち
岡崎市(おかざきし)は、愛知県西三河地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、18の町村がありました。男川村・岡崎村・美合村・岩津村・常磐村・河合村・山中村・藤川村・龍谷村・福岡町・本宿村・矢作町・下山村・形埜村・宮崎村・豊富村・六ツ美村・岡崎市です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の岡崎市になりました。
今の名前「岡崎市」は、1920年にあった岡崎市の名前を受け継いでいます。ほかの17の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の岡崎市が約19km²だったのに対し、今の岡崎市は約382km²と、およそ19.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は碧海郡・額田郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、碧海郡は1970年(昭和45年)12月1日に廃止されました。
「岡崎市」という名前
「岡崎」の名は、中世に明大寺のあたりにあった城や矢作宿が、今の竜美ヶ丘のある丘陵の出崎(突き出た先)に位置していたことから付けられたとされます。のちに西郷氏が城を明大寺から菅生郷へ移すと、岡崎の名がより広い範囲に使われるようになったと考えられています。1531年(享禄4年)には松平清康が龍頭山の砦を広げて岡崎城とし、城下町の名として定着しました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、城下の町々と周辺の村が合わさって額田郡岡崎町が発足しました。1906年(明治39年)5月1日には三島村などと合併して改めて岡崎町となり、1914年(大正3年)に広幡町を編入、1916年(大正5年)7月1日に市制を施行して愛知県で3番目の市・岡崎市となります。1928年(昭和3年)には岡崎村・美合村・男川村と常磐村の一部(箱柳)を編入しました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)2月1日に岩津町・福岡町・河合村・常磐村・藤川村・本宿村・山中村・竜谷村の額田郡8町村を、同年4月1日には矢作川の対岸にある碧海郡矢作町を編入します。旧矢作町の西端の一部は、住民の運動もあって1960年に安城市へ移りました。1962年(昭和37年)には碧海郡の六ツ美町を編入しています。一方、山あいの豊富村・宮崎村・形埜村と下山村の一部は1956年に合併して額田町をつくり、平成の大合併で2006年(平成18年)1月1日に岡崎市へ編入されました。こうして今の岡崎市は、旧額田郡の大半と旧碧海郡の東部にまたがる市となっています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、額田郡に岡崎町(城下の各町と周辺の村が合併)・三島村・岡崎村・福岡村・竜谷村・藤川村・山中村・本宿村・豊岡村・高富村・宮崎村・巴山村・河合村・美合村・男川村・乙見村・形埜村・下山村・常磐村・奥殿村・細川村・岩津村・大樹寺村・広幡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、碧海郡に矢作村・中郷村・本郷村・長瀬村・志貴村・藤野村・占部村・糟海村・中島村・阿乎美村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年12月17日明治23年額田郡巴山村が改称し、栄枝村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1891年9月8日明治24年碧海郡藤野村の一部(東牧内・上佐々木・下佐々木・河野)が分かれて志賀須香村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1891年11月10日明治24年碧海郡阿乎美村が分割され、合歓木村と青野村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1893年2月19日明治26年碧海郡矢作村が町制を施行し、矢作町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1893年11月8日明治26年額田郡福岡村が町制を施行し、福岡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1895年5月13日明治28年額田郡広幡村が町制を施行し、広幡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1896年6月22日明治29年碧海郡糟海村の一部(中之郷・土井)が分かれて中井村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1901年4月4日明治34年碧海郡本郷村の一部(渡・筒針)が分かれて渡村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1902年9月23日明治35年額田郡男川村の一部(欠)が岡崎町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年額田郡の岡崎町・三島村と乙見村の一部(稲熊・小呂)が合併して改めて岡崎町が発足し、同日、常磐村(乙見村の残部と合併)・岩津村(大樹寺村・奥殿村・細川村と合併)・豊富村(豊岡村・高富村・栄枝村の一部)・宮崎村(栄枝村の一部と合併)がそれぞれ新設合併で発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年碧海郡の矢作町・中郷村・本郷村・長瀬村・志貴村・志賀須香村・渡村が合併して改めて矢作町が、占部村・糟海村・中井村・中島村・合歓木村・青野村が合併して六ツ美村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1914年10月1日大正3年額田郡広幡町が岡崎町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1916年7月1日大正5年岡崎町が市制を施行し、岡崎市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1928年5月1日昭和3年額田郡岩津村が町制を施行し、岩津町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1928年9月1日昭和3年額田郡岡崎村・美合村・男川村と常磐村の一部(箱柳)が岡崎市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年2月1日昭和30年額田郡岩津町・福岡町・河合村・常磐村・藤川村・本宿村・山中村・竜谷村が岡崎市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年碧海郡矢作町が岡崎市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年額田郡の豊富村・宮崎村・形埜村と下山村の一部(一色・外山・中伊・富尾・保久)が合併して額田町が発足した(下山村の残部は東加茂郡下山村へ)。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1958年10月15日昭和33年碧海郡六ツ美村が町制を施行し、六ツ美町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1960年1月1日昭和35年旧矢作町の一部(宇頭茶屋町・尾崎町・柿碕町・河野町と橋目町の一部)が岡崎市から安城市に編入された。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1962年10月15日昭和37年碧海郡六ツ美町が岡崎市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2006年1月1日平成18年額田郡額田町が岡崎市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。