今の豊橋市
愛知県の南東部、渥美半島の付け根にあり、豊橋平野の上に市域が広がるまちです。豊川や梅田川が流れます。江戸時代は吉田藩の城下町、東海道の吉田宿・二川宿として栄え、今は東三河の経済・交通の中心です。三河港は自動車の輸出入で全国トップクラスの国際貿易港で、うずら卵の生産量日本一など農業も盛んです。
今の豊橋市の区域の人口は、2020年の国勢調査で371,920人です。今の区域で数えた1980年の304,273人とくらべると22.2%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は26.2%です。
主な産業:農業(野菜・畜産・うずら卵)、三河港の貿易、製造業
特産品・名産
- うずら卵生産量日本一とされる
- ちくわ市内で多く生産される加工食品
見どころ・祭り
- 吉田城跡(豊橋公園)城下町吉田の中心。鉄櫓が復元されている
- 豊橋鬼祭豊橋神明社の祭り。重要無形民俗文化財(2月10・11日)
- 二川宿本陣資料館東海道二川宿の本陣を伝える資料館
- 豊橋ハリストス正教会重要文化財
- 嵩山蛇穴嵩山(すせ)にある縄文時代の遺跡
木くすのき花つつじ豊橋市の木・花
豊橋市のなりたち
豊橋市(とよはしし)は、愛知県東三河地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。下川村・下地町・牟呂吉田村・高師村・賀茂村・石巻村・前芝村・二川町・老津村・高豊村・杉山村・豊橋市です。これらの町村が、10回の合併や編入を経て、今の豊橋市になりました。
今の名前「豊橋市」は、1920年にあった豊橋市の名前を受け継いでいます。ほかの11の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の豊橋市が約21km²だったのに対し、今の豊橋市は約258km²と、およそ12.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は八名郡・宝飯郡・渥美郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、宝飯郡は2010年(平成22年)2月1日に廃止されました、渥美郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧下地町の区域には下地駅(飯田線)があります。旧二川町の区域には二川駅(東海道本線)があります。
「豊橋市」という名前
江戸時代、この城下町は「吉田」と呼ばれていました。1869年(明治2年)6月、版籍奉還の直後に、伊予国の吉田藩と紛らわしいことから明治政府の命で改名することになり、豊川に架けられていた橋の名をとって「豊橋」と改められました。さらにさかのぼると、16世紀に築かれた城は今橋城と呼ばれ、のちに吉田城と改称されています。
まちの成り立ち
江戸時代には吉田藩の城下町として、また東海道の吉田宿・二川宿として栄えました。幕末の吉田藩は7万石で、三河国内では最大の藩でした。1878年(明治11年)に渥美郡豊橋町となり、1895年(明治28年)に豊橋村を合併、1906年(明治39年)7月16日に豊岡村・花田村と合併したうえで、同年8月1日に市制を施行して豊橋市が生まれました。同じ1906年には周辺でも村の統合が進み、牟呂吉田村・二川町・高師村・高豊村、宝飯郡の下地町、八名郡の下川村・石巻村などができています。明治から昭和の初めにかけては製糸業が盛んで、高師原に陸軍第15師団が置かれた軍都でもありました。1932年(昭和7年)9月1日に下地町・高師村・牟呂吉田村・下川村と石巻村の多米を編入し、昭和の大合併期の1955年(昭和30年)3月1日には前芝村・二川町・高豊村・老津村・石巻村を、4月1日には双和村の賀茂と杉山村の杉山を編入して、今の市域がほぼできあがりました。市は周辺を編入する形で広がってきたため、市名は豊橋のまま変わっていません。市章は、吉田城主だった大河内松平家の馬印を横から見た形の「千切(ちぎり)」です。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、渥美郡に豊橋町・豊橋村・花田村・吉田方村・牟呂村・福岡村・磯辺村・高師村・植野村・豊岡村・大川村・細谷村・小沢村・高根村・豊南村・老津村・大崎村・杉山村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、宝飯郡に大村・下地村・鹿菅村・前芝村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、八名郡に賀茂村・下条村・牛川村・美米村・玉川村・嵩山村・西郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年10月16日明治24年宝飯郡下地村が町制を施行し、下地町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1891年11月10日明治24年渥美郡植野村が分割され、植田村と野依村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1892年12月23日明治25年八名郡美米村が分割され、多米村と三輪村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1893年6月23日明治26年渥美郡大川村が町制を施行し、大川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1895年2月25日明治28年渥美郡の豊橋町・豊橋村が合併し、改めて豊橋町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1896年7月1日明治29年渥美郡大川町の一部(谷川)が分かれて谷川村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1906年7月1日明治39年渥美郡の吉田方村・牟呂村が合併して牟呂吉田村が、大川町・谷川村・細谷村・小沢村が合併して二川町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年7月1日明治39年宝飯郡の下地町・大村・鹿菅村が合併し、改めて下地町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年7月1日明治39年八名郡の下条村・牛川村が合併して下川村が、多米村・三輪村・玉川村・嵩山村・西郷村が合併して石巻村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年7月16日明治39年渥美郡の豊橋町・豊岡村・花田村が合併し、改めて豊橋町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年8月1日明治39年渥美郡豊橋町が市制を施行して豊橋市となり、郡を離れた。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1906年8月31日明治39年渥美郡の高根村・豊南村が合併して高豊村が、磯辺村・福岡村・高師村・野依村・植田村・大崎村が合併して改めて高師村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年9月10日明治39年渥美郡の杉山村・六連村が合併し、改めて杉山村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1932年9月1日昭和7年宝飯郡下地町、渥美郡高師村・牟呂吉田村、八名郡下川村と石巻村の一部(多米)が豊橋市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1933年6月10日昭和8年豊橋市の一部(院之子町)が宝飯郡豊川町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年八名郡の金沢村・賀茂村が合併し、双和村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年宝飯郡前芝村、渥美郡二川町・高豊村・老津村、八名郡石巻村が豊橋市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年八名郡双和村の大字賀茂と、渥美郡杉山村の大字杉山が豊橋市に編入された(双和村の残りは一宮村へ、杉山村の残りは田原町へ)。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。