今の西尾市
愛知県の西三河地方にあり、県の中央部を北から南へ流れる矢作川の流域の南端に位置するまちです。西尾城の城下町として栄え、全国京都会議に加盟する「三河の小京都」でもあります。2011年の合併で、三河湾に面した吉良・一色・幡豆の海辺のまちと、佐久島も市域に加わりました。抹茶(西尾茶)や一色産うなぎの産地として知られます。
今の西尾市の区域の人口は、2020年の国勢調査で169,046人です。今の区域で数えた1980年の146,010人とくらべると15.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.8%です。
主な産業:抹茶(西尾茶)、うなぎ養殖
特産品・名産
- 抹茶(西尾茶)産地として知られる
- 一色産うなぎ一色町地区の名産
見どころ・祭り
- 西尾城城下町西尾の中心にあった城
- 西尾市岩瀬文庫1908年創設の私設図書館が前身の博物館
- 三河工芸ガラス美術館巨大万華鏡で知られる私設美術館
- 西尾祇園祭(西尾まつり)7月中旬の3日間、市中を行列が練り歩く
- 佐久島『三河湾の黒真珠』と称される島
木クスノキ花バラ西尾市の木・花
西尾市のなりたち
西尾市(にしおし)は、愛知県西三河地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。家武村・平原村・花明村・佐久島村・平坂村・室場村・福地村・寺津町・三和村・横須賀村・吉田町・明治村・幡豆村・一色村・西尾町です。これらの町村が、8回の合併や編入を経て、今の西尾市になりました。
今の名前「西尾市」は、1920年にあった西尾町の名前を受け継いでいます。ほかの14の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の西尾町が約17km²だったのに対し、今の西尾市は約159km²と、およそ9.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は幡豆郡・碧海郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、幡豆郡は2011年(平成23年)4月1日に廃止されました、碧海郡は1970年(昭和45年)12月1日に廃止されました。
「西尾市」という名前
「西尾」という地名の由来は、確認できた資料には書かれていません。古い用例としては、1564年に御剱八幡宮へ奉納された鰐口の銘文に「西尾」とあるのが長く最古とされてきましたが、2009年に紹介された今川義元の書状に「西尾城」の語が見つかり、こちらがより古い史料とされています。愛知県内にあった旧尾西市の「尾西」は尾張の西という意味で、西尾とは関係がないとされます。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、幡豆郡には西尾町と36の村が発足しました。1906年(明治39年)5月1日には村の統合が大きく進み、西尾町・福地村・平坂村・寺津村・三和村・一色村・吉田村・横須賀村・幡豆村などに整理されます。同じ日、碧海郡では米津村などが合併して明治村が生まれました。その後、一色・吉田・平坂・幡豆・寺津が大正から昭和初めにかけて町となり、1932年(昭和7年)には室場・平原・花明・家武の4村が合併して室場村となりました。1953年(昭和28年)12月15日、西尾町が平坂町の一部(田貫・中畑・国森・新在家)を編入したうえで市制を施行し、西尾市が誕生します。続いて1954年8月10日に平坂町・寺津町・福地村・室場村を、1955年1月1日に三和村を編入し、同年4月1日には分割された碧海郡明治村のうち米津・南中根も加わりました。一方、佐久島村は1954年に一色町へ編入され、横須賀村と吉田町は1955年3月10日に合併して吉良町となって、一色町・幡豆町とともに幡豆郡に残りました。周辺との合併は長く実現しませんでしたが、2010年8月27日に3町との合併調印が行われ、2011年(平成23年)4月1日に一色町・吉良町・幡豆町が西尾市に編入されて、幡豆郡は消滅しました。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、幡豆郡に西尾町と西野町村・平坂村・中畑村・奥津村・寺津村・西崎村・栄生村・一色村・味沢村・五保村・衣崎村・六郷村・豊田村・井崎村・大宝村・久麻久村・御鍬村・川崎村・吹羽良村・室場村・花明村・家武村・平原村・横須賀村・瀬門村・厨村・荻原村・吉田村・富田村・保定村・宮崎村・幡豆村・東幡豆村・佐久島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、碧海郡に米津村(南中根村・米津村が合併)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1892年5月13日明治25年幡豆郡の一色村と横須賀村がそれぞれ町制を施行し、一色町・横須賀町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1893年11月8日明治26年幡豆郡平坂村が町制を施行し、平坂町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年幡豆郡で村の統合が行われ、西尾町(西尾町・久麻久村と西野町村・奥津村・大宝村の各一部)・福地村・平坂村・寺津村・三和村・一色村・吉田村・横須賀村・幡豆村が新たに発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年碧海郡の米津村・西端村・東端村・根崎村などが合併し、明治村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1923年10月1日大正12年幡豆郡一色村が町制を施行し、一色町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1924年1月1日大正13年幡豆郡吉田村が町制を施行し、吉田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1924年10月1日大正13年幡豆郡平坂村が町制を施行し、平坂町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1928年10月1日昭和3年幡豆郡幡豆村が町制を施行し、幡豆町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1929年4月1日昭和4年幡豆郡寺津村が町制を施行し、寺津町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1932年9月1日昭和7年幡豆郡の室場村・平原村・花明村・家武村が合併し、改めて室場村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1953年12月15日昭和28年幡豆郡西尾町が平坂町の一部(田貫・中畑・国森・新在家)を編入したうえで市制を施行し、西尾市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1954年8月1日昭和29年幡豆郡佐久島村が一色町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年8月10日昭和29年幡豆郡の平坂町・寺津町・福地村・室場村が西尾市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年幡豆郡三和村が西尾市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年3月10日昭和30年幡豆郡の横須賀村・吉田町が合併し、吉良町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年碧海郡明治村が分割され、米津・南中根が西尾市に編入された(西端は碧南市へ、東端などは安城市へ)。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2011年4月1日平成23年幡豆郡の一色町・吉良町・幡豆町が西尾市に編入され、幡豆郡は消滅した。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。