今の田原市
愛知県の南端、渥美半島の大部分を占めるまちです。東西に細長い半島に山地・台地・低地が連なり、北は三河湾、南は太平洋に面し、東は豊橋市と接します。黒潮の影響で一年中温暖で、1968年の豊川用水の通水をきっかけに全国屈指の農業地域となりました。電照菊などの施設園芸で知られ、三河港の埋立地には1979年からトヨタ自動車田原工場が操業しています。
今の田原市の区域の人口は、2020年の国勢調査で59,360人です。今の区域で数えた1980年の60,581人とくらべると2.0%減り、人口は2005年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は29.0%です。
主な産業:施設園芸(電照菊など)・野菜の農業、三河港臨海工業地帯の自動車工業
特産品・名産
- 電照菊温室で栽培される菊。名産・特産の一つ
- しらす・釜揚げしらす市の名産・特産として挙げられる
- 渥美沢庵市の名産・特産として挙げられる
- あさりせんべい市の名産・特産として挙げられる
見どころ・祭り
- 田原城(田原市博物館)田原藩の城跡。復元された桜門と二の丸櫓は田原市博物館になっている
- 伊良湖神社4月の御衣(おんぞ)祭りで知られる神社
- 崋山神社市内の神社(市の代表的な景観の一つとして紹介される)
- 赤羽根海岸太平洋に面した海岸
- 伊良湖岬渥美半島の南西端。沖に三島由紀夫『潮騒』で知られる神島がある
木クスノキ花なのはな田原市の木・花
田原市のなりたち
田原市(たはらし)は、愛知県東三河地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。野田村・神戸村・杉山村・泉村・福江町・伊良湖岬村・赤羽根村・田原町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の田原市になりました。
今の名前「田原市」は、1920年にあった田原町の名前を受け継いでいます。ほかの7の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の田原町が約41km²だったのに対し、今の田原市は約188km²と、およそ4.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は渥美郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、渥美郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。
「田原市」という名前
「田原」という地名は、平安時代中期ごろにこの地へ入った熊野の修験者たちが、紀伊国の地名にちなんで集落に名付けたものと伝えられています。もとになった地名は和歌山県串本町にあるとされ、近くの蔵王山も同じように紀伊の地名に由来するといいます。いずれも伝承にもとづく説です。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、渥美半島には田原村・神戸村・野田村・赤羽根村・福江村・泉村など15の村が発足しました。田原村は1892年(明治25年)、福江村は1897年(明治30年)に町制を施行し、1906年(明治39年)には村の統合で田原町・赤羽根村・伊良湖岬村・福江町・杉山村などに整理されています。戦後、愛知県は1954年に人口8,000人を超える町村をつくることを目指す合併計画試案をまとめ、1955年(昭和30年)1月1日に田原町・神戸村・野田村が合併して新しい田原町が発足しました。同年4月1日には分割された杉山村のうち六連が田原町に加わり、4月15日には半島西部で福江町・伊良湖岬村・泉村が合併して渥美町が生まれました。赤羽根村は1958年(昭和33年)11月1日に町となっています。平成の合併では、2001年に渥美郡3町の合併協議会が始まりましたが、新しい市の名称などをめぐって意見がまとまらず2002年に休止されました。その後、田原町と赤羽根町の協議が進み、2003年(平成15年)8月20日に田原町が赤羽根町を編入して市制を施行し、田原市が誕生しました。渥美町でも2004年の住民投票で63%が編入に賛成し、2005年(平成17年)10月1日に渥美町が田原市に編入されて、渥美郡は消滅しました。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、渥美郡に田原村・神戸村・野田村・童浦村・相川村・六連村・赤羽根村・高松村・若戸村・和地村・伊良湖村・中山村・福江村・清田村・泉村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年11月7日明治23年渥美郡伊良湖村が分割され、堀切・小塩津に堀切村が、日出・伊良湖に改めて伊良湖村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1891年4月15日明治24年渥美郡野田村が分割され、大久保に大久保村が、残りに改めて野田村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1892年10月3日明治25年渥美郡田原村が町制を施行し、田原町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1897年2月22日明治30年渥美郡福江村が町制を施行し、福江町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年7月16日明治39年渥美郡で町村の統合が行われ、田原町(田原町・相川村・童浦村・大久保村)・赤羽根村(赤羽根村・高松村・若戸村)・伊良湖岬村(堀切村・和地村・伊良湖村)・福江町(福江町・清田村・中山村)が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年9月10日明治39年渥美郡の杉山村・六連村が合併し、改めて杉山村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年渥美郡の田原町・神戸村・野田村が合併し、改めて田原町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年渥美郡杉山村が分割され、六連が田原町に、杉山が豊橋市にそれぞれ編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月15日昭和30年渥美郡の福江町・伊良湖岬村・泉村が合併し、渥美町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1958年11月1日昭和33年渥美郡赤羽根村が町制を施行し、赤羽根町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 2003年8月20日平成15年渥美郡田原町が赤羽根町を編入したうえで市制を施行し、田原市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 2005年10月1日平成17年渥美郡渥美町が田原市に編入され、渥美郡は消滅した。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。