今の幸田町
愛知県西三河地方の南部にあり、額田郡で唯一の自治体です。東南の遠望峰山、南の三ヶ根山などの山地に三方を囲まれ、中央を広田川が流れます。市街地は東海道本線の幸田駅の周辺から北と、南西部の三ケ根駅の周辺に広がります。工業団地が多く自動車関連の製造業が盛んで、特産の筆柿でも知られます。
今の幸田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で42,449人です。今の区域で数えた1980年の26,163人とくらべると62.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は21.8%です。
主な産業:自動車関連を中心とする製造業、筆柿・イチゴの栽培
特産品・名産
- 筆柿全国生産量の約95%を町が占めるとされる
- イチゴハウス栽培が盛ん
見どころ・祭り
- 本光寺アジサイ寺として知られる
- 大草城三河西郷氏・大草松平家の居城
- 深溝城深溝松平氏の居城
- 安国寺足利尊氏・直義が建てた安国寺の一つ(1339年)
木ヤマザクラ花ツバキ幸田町の木・花
幸田町のなりたち
幸田町(こうたちょう)は、愛知県西三河地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。豊坂村・幸田村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の幸田町になりました。
今の名前「幸田町」は、1920年にあった幸田村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の幸田村が約36km²だったのに対し、今の幸田町は約56km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は幡豆郡・額田郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、幡豆郡は2011年(平成23年)4月1日に廃止されました。
「幸田町」という名前
町名のもとは、町の中央を流れる広田川です。1906年(明治39年)に坂崎村・相見村・深溝村が合併した際、この川にちなんで「広田村(こうだむら)」と名付けられました。その後、村内の芦谷信号所を駅に昇格させるにあたって付けられた駅名「幸田」をそのまま村名に用いることになり、1908年(明治41年)に「幸田村」と改められました。読みは、1952年の町制施行時は「こうだ」、1954年の合併以降は「こうた」とされています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制施行で、今の町域の北側には額田郡の坂崎村・相見村・深溝村が、南東部には幡豆郡の松坂村と豊国村が発足しました。1906年(明治39年)5月1日、額田郡の3村が合併して広田村に、幡豆郡の2村が合併して豊坂村になりました。広田村は1908年(明治41年)に、駅名にあわせて幸田村と改称しています。戦後、1950年ごろから岡崎市が額田郡の町村との合併を模索するようになると、幸田村では近隣の市に併合される際に大字ごとに分けられることのないよう、町制を敷こうという機運が高まり、1952年(昭和27年)4月1日に町制を施行して幸田町となりました。1954年(昭和29年)8月1日には幡豆郡の豊坂村と合併し、改めて額田郡幸田町が発足して、今の町域ができあがりました。平成の大合併期には岡崎市との合併協議が行われましたが、2003年に町は協議会への参加を見送りました。2006年に額田町が岡崎市に編入されたため、額田郡に残る自治体は幸田町だけです。上六栗・桐山・逆川・須美・永野・野場・六栗の各大字は、旧豊坂村の区域にあたります。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、額田郡に坂崎村・相見村・深溝村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、幡豆郡に松坂村(野場・永野・須美・六栗の各村が合併)と豊国村(逆川・上六栗・桐山の各村が合併)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年額田郡の坂崎村・相見村・深溝村が合併し、広田村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年幡豆郡の松坂村・豊国村が合併し、豊坂村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1908年額田郡広田村が改称し、幸田村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年額田郡幸田村が町制を施行し、幸田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年8月1日昭和29年額田郡幸田町と幡豆郡豊坂村が合併し、改めて額田郡幸田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。