今の豊明市
愛知県の中西部、名古屋市の南東に隣接する市で、標高50〜70mの豊明丘陵、境川沿いの段丘、川に沿った低地からなります。市内最高地は北西部の二村山で、勅使池など大小のため池が点在します。1560年の桶狭間の戦いの舞台として知られ、「大金星のまち とよあけ」を掲げています。花きの卸売市場や中京競馬場もあり、住宅地と工業・農業が混じる、名古屋のベッドタウンです。
今の豊明市の区域の人口は、2020年の国勢調査で69,295人です。今の区域で数えた1980年の54,667人とくらべると26.8%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は26.5%です。
主な産業:花き卸売市場、食品・電機などの工場、農業。
特産品・名産
- 花き(鉢物・蘭鉢)1996年開場の愛知豊明花き地方卸売市場は、鉢物の取扱量でアジア最大とされる
見どころ・祭り
- 桶狭間古戦場伝説地国の史跡。今川義元の墓がある
- 阿野一里塚国の史跡。旧東海道沿いで両側の塚が残る
- 沓掛城址公園沓掛城の跡を整備した公園
- 大脇の梯子獅子県指定の無形民俗文化財。高さ12mのやぐらの上で獅子舞を演じる(10月)
- ナガバノイシモチソウ自生地県指定天然記念物。8月に一般公開
木ケヤキ花ヒマワリ豊明市の木・花
豊明市のなりたち
豊明市(とよあけし)は、愛知県尾張地方の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では豊明村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は愛知郡に属していました。
「豊明市」という名前
「豊明」の名には二つの説明があります。一つは、江戸時代後期の1800年代初めから昭和まで今の名鉄前後駅の近くにあった造り酒屋の屋号「豊倉」と、元号の「明治」から一字ずつ採ったと伝えられるものです。もう一つは『豊明町誌』によるもので、宮中の年中行事である豊明節会(とよのあかりのせちえ)から、めでたい字の「豊」と「明」を採ったとされます。どちらが正しいかは定まっていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、愛知郡の大沢村・沓掛新田と、知多郡に属していた東阿野村・栄村の区域を合わせて愛知郡豊明村が発足しました。隣の沓掛村は単独で村となりました。1906年(明治39年)5月10日に豊明村と沓掛村が合併して、改めて豊明村となり、今の市域ができあがります。1923年(大正12年)には愛知電気鉄道(今の名鉄名古屋本線)の阿野駅・前後駅が開業しました。戦後の1957年(昭和32年)1月1日に町制を施行して豊明町となり、1972年(昭和47年)8月1日に市制を施行して豊明市となりました。このとき大字の東阿野と沓掛新田はそれぞれ阿野町・新田町に改められ、ほかの大字には「町」が付けられています。平成の大合併のころの2004年には、住民有志が必要数の約6.5倍にあたる6,599人分の署名を集めて名古屋市との合併を直接請求しましたが、名古屋市長が時期尚早として応じず、実現しませんでした。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、愛知郡の大沢村・沓掛新田と知多郡の東阿野村・栄村の区域で愛知郡豊明村が発足し、沓掛村は単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1906年5月10日明治39年愛知郡の豊明村と沓掛村が合併し、改めて豊明村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年1月1日昭和32年豊明村が町制を施行し、豊明町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1972年8月1日昭和47年豊明町が市制を施行し、豊明市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。