今の会津若松市
福島県の会津地方の中心になる市で、市街地は会津盆地の南東部にあります。南には山地が広がり、東は猪苗代湖の一部が市域に含まれます。江戸時代は会津藩の城下町で、鶴ヶ城や飯盛山など、戊辰戦争にかかわる史跡が残ります。東山温泉などの温泉もあり、会津塗や日本酒をつくる産地です。JRの磐越西線や只見線、会津鉄道が集まり、会津地方の交通の要所になっています。
今の会津若松市の区域の人口は、2020年の国勢調査で117,376人です。今の区域で数えた1980年の130,883人とくらべると10.3%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.5%です。
主な産業:観光が盛んで、稲作、半導体や精密機器の工場もあります。
特産品・名産
- 会津塗会津の漆器。市の名産品とされる
- 日本酒榮川酒造など複数の酒造会社の本社がある
- 赤べこ会津の郷土玩具
見どころ・祭り
- 鶴ヶ城(若松城)会津藩の城跡
- 飯盛山白虎隊士の墓やさざえ堂がある
- 御薬園会津松平家の庭園
- 東山温泉市の南東部にある温泉
- 會津藩校日新館会津藩の藩校を再現した施設
木アカマツ花タチアオイ鳥カッコウ会津若松市の木・花・鳥
会津若松市のなりたち
会津若松市(あいづわかまつし)は、福島県会津地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、16の町村がありました。川路村・氷玉岡村・町北村・荒井村・舘ノ内村・高野村・神指村・一箕村・湊村・若松市・東山村・門田村・大戸村・川南村・堂島村・日橋村です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の会津若松市になりました。
今の名前「会津若松市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの16の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の大戸村が約79km²だったのに対し、今の会津若松市は約388km²と、およそ4.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北会津郡・大沼郡・河沼郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北会津郡は2004年(平成16年)11月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧門田村の区域には門田駅(会津鉄道 会津線)があります。旧堂島村の区域には堂島駅(磐越西線)があります。
「会津若松市」という名前
会津若松市の「若松」は、戦国時代の末に城下町の名が改められたときの名です。1590年(天正18年)に蒲生氏郷が入封し、町の名を黒川から「若松」へ改めました。「若松」の名は、氏郷の出身地に近い神社の参道周辺にあった「若松の杜」にちなむとされています。市の名は長く「若松市」でしたが、1955年(昭和30年)に、福岡県の若松市との混同を避けるため、「会津若松市」に改めました。
まちの成り立ち
福島県の会津地方の中心になる市です。江戸時代は会津藩の城下町として栄え、幕末には戊辰戦争の主戦場になりました。1889年(明治22年)の町村制で北会津郡若松町となり、1899年(明治32年)に県内で初めて市制を施行して若松市になりました。1951年(昭和26年)に町北村を編入しています。1955年(昭和30年)1月1日には、高野村・神指村・一箕村・湊村・東山村・門田村・大戸村の7村を若松市に編入し、同じ日に市名を会津若松市に改めました。同じ年の4月1日には、前の年に玉路村と合併していた本郷町から、小谷の地区を編入しています。その後、市の周りでは、1956年に川南村と荒舘村が合わさって北会津村、1957年に堂島村と日橋村が合わさって河東村になり、河東村は1978年に町制を施行して河東町になりました。平成の大合併では、2004年(平成16年)11月1日に北会津村を、2005年(平成17年)11月1日に河東町を編入しています。市は会津盆地の南東部にあり、南の山地や猪苗代湖の西側も市域に含みます。鶴ヶ城や飯盛山などの歴史的な見どころがあり、漆器の会津塗や日本酒などの産地でもあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北会津郡に若松町と湊村・蚕養村・栄和村・神指村・荒井村・舘ノ内村・川南村・大戸村・門田村・東山村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河沼郡に日橋村・堂島村が、大沼郡に川路村・氷玉岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年2月13日明治24年北会津郡蚕養村が改称し、一箕村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1899年4月1日明治32年若松町が市制を施行し、若松市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1903年6月6日明治36年北会津郡栄和村が分かれ、町北村と高野村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1925年6月10日大正14年大沼郡の氷玉岡村と川路村が合併し、玉路村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1937年4月1日昭和12年北会津郡町北村の一部(石堂・藤室・上荒久田の各一部)が若松市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年北会津郡町北村が若松市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1953年4月1日昭和28年北会津郡の荒井村と舘ノ内村が合併し、荒舘村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年11月1日昭和29年大沼郡の本郷町と玉路村が合併し、改めて本郷町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年北会津郡の門田村・湊村・一箕村・高野村・神指村・大戸村・東山村が若松市に編入され、若松市は同じ日に会津若松市と改称した。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年大沼郡本郷町の一部(小谷)が会津若松市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1956年5月1日昭和31年北会津郡の荒舘村と川南村が合併し、北会津村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年4月1日昭和32年河沼郡の日橋村と堂島村が合併し、河東村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1978年4月1日昭和53年河東村が町制を施行し、河東町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 2004年11月1日平成16年北会津村が会津若松市に編入され、北会津郡はなくなった。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2005年11月1日平成17年河東町が会津若松市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。