今の会津坂下町
福島県の会津地方にあり、会津盆地の西部に位置する町です。町の中部から東は平らな盆地で水田が広がり、西は山林が多くなっています。阿賀川と只見川が流れ、会津若松市や喜多方市などまで、およそ12キロメートルの距離です。江戸時代は銀や海産物が集まる土地で、今も米を中心とした農業が営まれています。
今の会津坂下町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,068人です。今の区域で数えた1980年の20,504人とくらべると26.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.7%です。
主な産業:米を中心に野菜・果物をつくる農業のまちです。
特産品・名産
- 米町の農業の中心
- 日本酒町内の酒造会社が飛露喜などの銘柄を造る
見どころ・祭り
- 恵隆寺(立木観音堂)日本遺産の構成文化財
- 陣が峯城跡国の史跡
- 亀ヶ森・鎮守森古墳国の史跡
- 旧五十嵐家住宅国の重要文化財
- 初市大俵引き毎年1月。約5トンの米俵を引き合う行事
木桜花菊鳥うぐいす会津坂下町の木・花・鳥
会津坂下町のなりたち
会津坂下町(あいづばんげまち)は、福島県会津地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。気多宮村・塔寺村・新舘村・坂本村・船杉村・川西村・広瀬村・金上村・坂下町・若宮村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の会津坂下町になりました。
今の名前「会津坂下町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの10の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の川西村が約16km²だったのに対し、今の会津坂下町は約93km²と、およそ5.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は河沼郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧塔寺村の区域には塔寺駅(会津鉄道 会津線)があります。旧若宮村の区域には若宮駅(会津鉄道 会津線)があります。
「会津坂下町」という名前
会津坂下町の名の由来は、はっきりしていません。町の中心は古くから坂下と呼ばれた土地で、会津盆地の西部にあります。1955年(昭和30年)4月1日に、坂下町と川西村・広瀬村・金上村・若宮村・八幡村が新設合併して、会津坂下町が発足しました。旧坂下町は、江戸時代に銀や海産物が集まる土地でした。
まちの成り立ち
福島県の会津地方にあり、会津盆地の西部に位置する町です。町の中部から東側は平らな盆地で水田が多く、西側は山林が多くなっています。東側から北側にかけては阿賀川が流れ、西部には只見川が流れます。江戸時代の旧坂下地区には、柳津の銀山から掘り出された銀の集積地がありました。阿賀川の舟運で運ばれた海産物も、この土地に集まりました。1923年(大正12年)4月1日には、気多宮村・塔寺村・新舘村・坂本村・船杉村が合わさって八幡村になっています。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に、川西村・広瀬村・金上村・坂下町・若宮村・八幡村が新設合併して、河沼郡会津坂下町が発足しました。1960年(昭和35年)8月1日には、耶麻郡高郷村の高寺・片門・束松の地区を編入しています。第二次世界大戦後には只見特定地域総合開発計画で、町内に片門ダムと片門水力発電所が建設されました。毎年1月には、重さ約5トンの米俵を引き合う初市大俵引きが行われています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河沼郡に坂下町と若宮村・金上村・広瀬村・川西村・塔寺村・気多宮村・坂本村・新舘村・船杉村・高寺村・片門村・束松村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1923年4月1日大正12年塔寺村・気多宮村・坂本村・新舘村・船杉村が合併し、八幡村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年高寺村・片門村・束松村が合併し、改めて高寺村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年高寺村・新郷村・千咲村と耶麻郡山郷村が合併し、河沼郡高郷村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併し、会津坂下町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年8月1日昭和35年高郷村の一部(旧高寺村のうち高寺・片門と束松の一部)が会津坂下町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。