今の西会津町
福島県の会津地方の北西部にあり、新潟県との県境に接する町です。町の中心部を阿賀川が蛇行して流れ、野沢盆地のまわりを飯豊連峰などの山々が囲みます。越後街道の宿場町として栄え、会津塗や桐製品の製造でも発展してきました。町の花のおとめゆりが山地に自生し、農家民宿が多いことでも知られます。
今の西会津町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,770人です。今の区域で数えた1980年の11,490人とくらべると49.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.1%です。
主な産業:水稲を中心とした農業、桐製品などの工芸、観光が営まれています。
特産品・名産
- 桐ゲタ桐を使った町の特産品
- 会津張り子町の特産品の一つ
- 出ヶ原和紙町の特産品の一つ
見どころ・祭り
- 飯豊山町の北側に連なる飯豊山地の山
- 円満寺観音堂が国の重要文化財
- 如法寺会津ころり三観音のひとつ
- 西会津国際芸術村町内の芸術交流施設
木桐花おとめゆり西会津町の木・花
西会津町のなりたち
西会津町(にしあいづまち)は、福島県会津地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。芹草越村・正中村・奥川村・新郷村・群岡村・宝坂村・上野尻村・登世島村・尾野本村・野沢町・睦合村・下谷村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の西会津町になりました。
今の名前「西会津町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの12の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の奥川村が約104km²だったのに対し、今の西会津町は約304km²と、およそ2.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は河沼郡・耶麻郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧上野尻村の区域には上野尻駅(磐越西線)があります。旧野沢町の区域には野沢駅(磐越西線)があります。
「西会津町」という名前
西会津町の名の由来は、はっきりしていません。町は会津地方の北西部にあり、新潟県との県境に接しています。1954年(昭和29年)7月1日に、河沼郡の野沢町など8つの町村と耶麻郡の新郷村・奥川村が合併して生まれました。郡をまたいで一つになった町で、新しく付けられた名が西会津町です。
まちの成り立ち
福島県の会津地方の北西部にあり、新潟県との県境に接する町です。会津五街道のひとつの越後街道が通り、野沢・上野尻・白坂・宝川などに宿駅が置かれていました。特に野沢は規模が大きく、六斎市が開かれていました。1889年(明治22年)の町村制のあと、1921年(大正10年)6月1日に、芹草越村と正中村が野沢町に編入されています。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)7月1日に、河沼郡の野沢町・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村と、耶麻郡の新郷村・奥川村が新設合併して、耶麻郡西会津町が発足しました。町の合併後、1960年(昭和35年)10月20日には、高郷村の一部の束松地区を編入しています。町の中心部を阿賀川が蛇行して流れ、野沢盆地の周りを飯豊連峰などの山々が囲んでいます。宿場町としてだけでなく、会津塗や桐製品の製造でも栄えてきました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河沼郡に野沢村・正中村・芹草越村・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村が、耶麻郡に新郷村・奥川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1907年7月1日明治40年河沼郡野沢村が町制を施行し、野沢町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1921年6月1日大正10年河沼郡正中村と芹草越村が野沢町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年7月1日昭和29年河沼郡の野沢町・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村と耶麻郡の新郷村・奥川村が合併し、耶麻郡西会津町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年10月20日昭和35年耶麻郡高郷村の一部(束松)が西会津町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。