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湯川村ゆがわむら

1920年には2の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の湯川村になりました。

2町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の湯川村

福島県の会津地方中部にあり、会津盆地のほぼ中央に位置する村です。日橋川と阿賀川(大川)に囲まれた、山のない平らな土地です。農業が主な産業で、「米と文化の里」を掲げています。会津湯川米や会津牛、アスパラガスを特産物とします。平安時代初期に開かれたと伝わる勝常寺があります。毎年4月28日には勝常寺念佛踊り供養祭が行われます。

今の湯川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,081人です。今の区域で数えた1980年の3,789人とくらべると18.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.6%です。

3,081人人口(2020年)
−18.7%1980年からの増減
16.7km²面積(概算)
184人/km²人口密度
34.6%65歳以上の割合
3,8111980199020052020
15歳未満 13.7%15〜64歳 51.7%65歳以上 34.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農業が主な産業で、米づくりが中心です。

特産品・名産

  • 会津湯川米コシヒカリの米
  • 会津牛村の特産物とされる
  • アスパラガス村の特産物とされる

見どころ・祭り

  • 勝常寺810年に徳一が開いたと伝わる寺
  • 北田城跡村内の城跡
  • 浜崎城跡村内の城跡
  • 道の駅あいづ 湯川・会津坂下冬の市や新米祭の会場になる道の駅

木イチョウ花アジサイ鳥カッコウ湯川村の木・花・鳥

湯川村のなりたち

湯川村(ゆがわむら)は、福島県会津地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。笈川村・勝常村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の湯川村になりました。

今の名前「湯川村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の笈川村が約8km²だったのに対し、今の湯川村は約17km²と、およそ2.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は河沼郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧笈川村の区域には笈川駅(磐越西線)があります。

21920年の町村の数
1回合併・編入の回数
17km²今の面積
1957年いちばん新しい合併

「湯川村」という名前

湯川村の名は、合併前の二つの村の境を流れていた湯川の名にちなんで付けられました。1957年(昭和32年)3月31日に、町村合併促進法にもとづいて笈川村と勝常村が合併し、湯川村と名付けられました。村は福島県の会津地方中部にあり、河沼郡に属します。

まちの成り立ち

福島県の会津地方中部にあり、河沼郡に属する村です。会津盆地のほぼ中央にあり、日橋川を北の端、阿賀川(大川)を西の端としています。山のない、平らな土地です。810年(弘仁元年)には、法相宗の学僧の徳一が勝常寺を開いたと伝わります。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、笈川村と勝常村が発足しました。昭和の大合併では、町村合併促進法にしたがって、1957年(昭和32年)3月31日に笈川村と勝常村が合併して、河沼郡湯川村が誕生しました。村名は、両村の境を流れていた湯川にちなんでいます。農業が主な産業で、「米と文化の里」をスローガンにしています。コシヒカリの会津湯川米や会津牛、アスパラガスを特産物としています。毎年4月28日には、勝常寺念佛踊り供養祭が行われます。村内には磐越西線の笈川駅があり、国道49号が通ります。村の花はアジサイ、村の木はイチョウ、村の鳥はカッコウです。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河沼郡に笈川村と勝常村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1957年3月31日昭和32年笈川村と勝常村が合併し、湯川村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

湯川村1957〜今
笈川村1889〜1957同じ名前の駅:笈川駅
勝常村1889〜1957

参考にした資料